元巨人・簑田浩二さん、トリプルスリー男がプロゴルファー→レッスンプロで歩む“ゴルフ道”

2018年11月24日16時0分  スポーツ報知
  • 真剣な表情で受講者を指導する簑田浩二さん(カメラ・能登谷 博明)
  • 84年の日本シリーズ、広島・阪急第2戦。9回に本塁打を放った簑田(捕手・達川)
  • 89年の同巨人・近鉄第4戦。1回、近鉄・光山のブロックをかわして本塁へ先制スライディング

 プロ野球の阪急、巨人で活躍した簑田浩二さん(66)はプロゴルファーに転身、現在はレッスンプロとして多忙な日々を送っている。阪急時代の1983年には打率3割1分2厘、32本塁打、35盗塁で史上4人目(当時)のトリプルスリーを達成。還暦を過ぎてもスポーツジムなどでの鍛錬を欠かさず、走攻守3拍子そろった全盛時の体形をキープ。あくなき「ゴルフ道」を追求している。

 2005年、日本インストラクタープロゴルフ協会(JIPGA)に入会し、レッスンプロの道へ進んだ簑田さん。平日はゴルフ場でのラウンドレッスンや企業コンペ、日曜日は東京・台東区の浅草橋ゴルフクラブで指導に追われる。

 「今年は猛暑と台風の影響で、ラウンド数は8月が5回、9月が6回と少なめ。気候の良くなった10月が10回と、やっと通常の回数に戻ったよ。仕事がない日はスポーツジムのマシンを使ってウェートトレーニングやランニングが日課。ゴルフは瞬発力の必要なスポーツだから、太っていると体が回らずボールが飛ばない。僕はプロ野球選手を引退する時に『このまま食べ続けたらまずい』と感じて食事の量を半分に減らした。体も動かし続けてきたので、何とか体形(身長174センチ、72キロ=現役時は68キロ)はキープしてます」

 阪急と巨人で選手、巨人ではコーチも務め、43歳までプロ野球に在籍。49歳まで続けた解説者時代から、ゴルフのアマチュア競技会に何度も出場してきた。

 「競技会に出ても名誉だけのもので、満足できなかった。『アマを卒業し、プロの指導者としてやれないか。自分も楽しみながら、なおかつ少しでもサラリーがもらえないだろうか』と考えていた。50代でそれが実現し、好きなゴルフで生活できて幸せだよね」

 簑田さんがプロ野球選手になった1970年代は、シーズンが終わると即オフ。秋季キャンプは実施されず、周囲から健康的なオフの過ごし方として、ゴルフを勧められたという。

 「1年目のオフ、24歳で始めた。打ちっ放しの練習場に通うこともなく、いきなりゴルフ場“デビュー”。購入したゴルフセットのカバーを外して、すぐ打ったね。それでもハーフを52~54で回った。午後からはクラブを振り回すようになって70ぐらい、叩いたかな」

 小中学生の頃から、野球や卓球、テニスなど、小さなボールに対してバットやラケットといった道具を使用する球技が好きだった。ゴルフも同じような感覚で、すぐのめり込んだ。

 「阪急でレギュラーを取った3年目のオフは、12月と1月に30回ぐらいラウンドした。シーズン中は試合の毎日で勝負の世界。生活かかっているからプレッシャーがかかるでしょ。オフのゴルフはいくら打とうが関係ない。和気あいあいと楽しめる解放感、リフレッシュできる喜びがあった。阪急はキャンプの始まる2月からは『ゴルフ封印』だったけど、休みの日にはこっそりやってたね(笑い)」

 その人の性格がプレーに表れるというゴルフ。名選手たちの“人柄”を、簑田さんが明かした。

 「巨人に移籍後、近所に住んでいた土井正三さん(故人)とよくラウンドした。バントの名手で堅実なようだけど、ゴルフは豪快。攻撃的なドローボールをよく打ってた。阪急時代は山田久志さん(70)と加藤英司さん(70)が印象的。投手出身の人はスイングが美しく、山田さんはまさにそのタイプ。でも、前半悪かったら後半は投げちゃったりと、名投手独特のゴルフだった。加藤さんは飛ばすことに命を懸けるような感じで、野球と一緒。他球団では平松政次さん(71)が上手だった。野球はカミソリシュートで、ゴルフはスライダー系の低いフックボールで攻めてたなあ」

 ゴルフを通じて多くの企業のトップや著名人と接してきた。人脈が広がり見聞を広めてきたが、球界の大先輩・土井さんの言葉を今なお、かみしめている。

 「彼から『ルールやマナーをしっかり学べば、ゴルフがより楽しくなる。いろんな人との付き合いがスムーズになって、社会勉強ができる』と何度も聞いた。レッスンプロとして人にゴルフの魅力を語る時、基本となるのはそのこと。プレーを楽しめれば、人とのつながりができることを多くの方に知ってほしいですね」

 日本プロ野球界で、これまで10人が記録したトリプルスリー。1983年に簑田さんが達成した時は、30年ぶりの偉業とあって注目を集めた。

 「当時、阪急担当記者から『中西太さんが30年前にトリプルスリーを達成してます。狙ってみませんか』と言われた。78年に打率3割7厘、80年に31本塁打、30盗塁以上も3回あって、その気になった。ただ、僕が3番で4番がブーマー。塁に出た時、簡単に盗塁はできないから苦労したよ」

 最近は山田哲人(26)が2015、16、18年に、柳田悠岐(30)が15年に達成。簑田さんは後輩たちにアドバイスを送った。

 「トリプルスリーの翌年も僕は好調で、自然と体が球に向かっていった。85年には頭に死球を受けて成績が一気に下がった。調子が良い時ほど、球から逃げられない。2人には気をつけてほしい。全打席でヒットを狙ったら、体を守れなくなる。意識して手を抜く打席があってもOKと言いたいね」(取材・桃井 光一)

 ◆簑田 浩二(みのだ・こうじ)1952年3月11日、広島・廿日市市生まれ。66歳。大竹高から三菱重工三原に進み、75年にドラフト2位で阪急入団。77年に内野手から外野手に転向し、78年から「2番・左翼」のレギュラーに定着、8年連続でダイヤモンド・グラブ賞(81年以降は右翼手)。83年に打率3割1分2厘、32本塁打、35盗塁を記録し、中西太以来30年ぶり史上4人目のトリプルスリー。88年、金銭トレードで巨人に移籍、90年に現役引退。91年から1軍打撃、守備走塁コーチを務め、95年退団。通算成績は1286安打、204本塁打、678打点、250盗塁。ゴルフのベストスコアは63(45歳時)。血液型O。家族は妻と1男1女。

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