元DeNA投手・加賀繁さん、スクールコーチに転身し野球人生振り返る〈下〉

スポーツ報知
“バレンティンキラー”としても知られた加賀さん

 昨年までDeNAの中継ぎ右腕として活躍した加賀繁さんは、高校まで三塁手兼投手だった。当時、野手での評価が高かった加賀さんの野球人生を変えたのが、高3の秋に上武大のセレクションで出会った名将・谷口英規監督(49)だった。

 「その時のピッチングを今でも覚えています。器用ではないが地肩が強く、上から投げているのに体の使い方はサイドスローでした。それを見て投手で入部させ、サイドに転向させようと決めました」と谷口監督は明かした。「1年の夏、監督にブルペンに呼ばれて(サイド転向を)言われました。1球目は大暴投でしたね。監督から投げ方を教わりながら、その日は200球以上投げた」と加賀さんは懐かしそうに振り返る。

 最初はフォームが固まらず制球に苦しんだ。だが黙々と投げ込みを続け、右打者への内角球を中心に精度を高めていった。加賀さんは「大学に入ってメチャクチャ練習する先輩がいて、投げ方から変化球、トレーニング方法もマネをして、それからうまくいくようになった」と周囲にも感謝した。谷口監督は「淡々と練習する選手。サイドでは力の伝わり方が全然違って球威が増した。(腕が)しなるフォームでなく、いわゆるアーム型でしたが、繰り返し練習して感覚を体にたたき込んでいた」と説明した。特に調子のいい時には続けて練習をしたという。同タイプの器用でない子どもたちには参考になりそうだ。

 加賀さんのデビューは3年になってから。4年秋のリーグ戦ではMVPを獲得した。著しい成長を遂げる一方、無口で優しい人柄は変わらなかった。住金鹿島(現新日鉄住金鹿島)時代、一緒に補強選手として都市対抗に出場した同社の高浦孝仁元内野手(40)は「ピッチャーなのに私が結婚するとき、引っ越しを手伝ってくれました。お酒はそれほど飲まないけど、誘われれば断らなかった」と加賀さんの素顔を紹介した。

 プロではヤクルト・バレンティンを初対戦から20打席連続で抑えて名を広める。内角を厳しく攻め、外の球で仕留めるパターンが多かった。それなのに「いつも心の中で『お願い、打ち損じて』と思っていました。インコースは『当たったらゴメン』という感じで腕を振っていましたね」と苦笑しながら話す加賀さんの様子は、優しさと負けず嫌いが入り混じっていた。

 現在、加賀さんはDeNAの球団職員としてベースボールスクールコーチを務め、小学1、2年と同3、4年のクラスを担当している。笑顔で優しく教えていそうだが、「(軟らかいゴムボールでなく)普通の軟球でしっかり練習しています。子どもたちをプロ野球選手に育てて自慢したいんですよ」。小さな子ども相手でも野球になると、優しさより負けず嫌いな面が出てしまうようだ。(構成・芝野 栄一)

=おわり=

 ◆加賀 繁(かが・しげる)1985年4月13日生まれ。33歳。埼玉県川越市出身。川越ボーイズ、埼玉平成高時代は三塁手兼投手。上武大で本格的に投手に転向し、住金鹿島を経て09年ドラフト2位でDeNA(当時横浜)に入団した。昨秋引退するまで主に中継ぎとして通算279試合に登板。12勝22敗1セーブ、72ホールド。右投右打。182センチ、84キロ。

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