原辰徳氏が球児にエール「最高の仲間と最高の夏に思う存分腕試しを」特別手記

スポーツ報知
日大藤沢出身の山本昌氏(手前)と神奈川大会開幕戦の始球式で対決した東海大相模出身の原辰徳氏(右)(カメラ・泉 貫太)

◆第100回全国高校野球選手権記念南北神奈川大会(8日・横浜スタジアム)

 南北の神奈川大会が8日、横浜スタジアムで開幕した。開幕戦前に始球式が行われ、東海大相模出身の原辰徳氏(59)が打者、日大藤沢出身の山本昌氏(52)が投手を務めた。原氏はスポーツ報知に特別手記を寄せ、夏は3年間負けなしだった高校時代を振り返り、球児にエールを送った。

 中学生の時から、高校野球は近くにあった。父(原貢氏)が東海大相模の監督で、夏の県大会も観戦したが、壮絶な試合が多かった。中学2年だった72年。法政二との準決勝で相模は9回2死から4点差を逆転した。そういう展開を目の当たりにして、高校野球ってすごい試合をするんだなという思いを抱いていた。

 そして、自分自身で決めて、東海大相模の門を叩いた。1年の夏からレギュラーで試合に出られた。部員数は約100人で、その代表だという自覚はあった。「背番号5、原辰徳」という言葉を、監督や部長先生からいただいたのを思い出す。

 部室の黒板には「全国制覇」と書いてあった。監督ではなく、マネジャーや当時の上級生が書いていたが、日がたつと薄くなってくる。それを誰かが書き足していたのもいい思い出だ。

 在学中の3年間は夏の神奈川で負けなかった。ただ、負けたら終わり、という気持ちはみんなが持っていた。試合に臨む前は、合宿所の部屋、甲子園に行けば宿舎をいつもきれいにしていた。いい意味の潔さ、覚悟。一発勝負は怖いものだから。

 いろいろな思いが詰まった県大会だったが、特に2つの試合を思い出す。まずは2年、準決勝の日大高戦。4敬遠だった。当時、メイン会場は保土ケ谷球場だったけど、グラウンドに物が投げ込まれて中断もした。4敬遠なんて初めてだった。日大高は打倒・相模で、非常にいいチームだった。私を歩かせて、打たせないことはできたが、キャプテンの佐藤功さんが2本塁打。私も勝負してくれた1打席でヒットを打ち、勝った。

 監督はすごく冷静だった。敬遠されても怒りもしない。ベンチで顔色を変えず、次の打者に向かって手を叩いて、さあ行こう、という意思を示していた。すごいな、と思った。負けていて怒りたくもなる。その立ち居は印象に残っている。

 そして、1年生の時の横浜との決勝。相手先発は、その前の年のセンバツ優勝投手、永川英植投手だった。下馬評では7対3の割合で横浜絶対有利。でも監督は言った。「いいか、横浜高校は確かにいいチームかもしれない。しかし、お前たちはじっと我慢をしておけ。我慢すれば相手はミスするぞ。普通の野球をやっておけ。何も力むことはない」と。

 試合が始まり、我々は守備。サイレンが鳴ったと同時にバッターランナーはセカンドに行っていた。二塁打。横浜はやっぱりすごいな、と思っていたら、サイレンの音が消える前にけん制でアウトになった。この5秒間くらいで、「普通にやれば勝てる」と思った。

 0―0の2回の攻撃。1死一、二塁で、7番・岩崎さんが三ゴロ。あー、だめかと思った瞬間、サードは二塁に投げずに一塁に投げ、それが大きくそれた。ライトは三塁手が二塁に投げるものと思って、定位置か右中間をカバーしていた。二塁手も二塁ベースにいる。ボールはライトファウルゾーンに転がっている。保土ケ谷球場はファウルゾーンも広くないのでライトがほどなくして追いつく。打者走者の岩崎さんはそんなに足が速くないけど、二塁を狙った。右翼手はそれを刺そうと二塁に投げ、これも悪送球。ボールはレフトを転々として、一塁走者も岩崎さんもホームにかえって3―0。結局、4―1で勝った。試合後、監督は「俺の言う通りだっただろ」と言っていた。

 日大高の時もそうだったが、監督の一言や立ち居振る舞いは、不安要素を取り除いてくれたし、経験のない無垢(むく)な野球少年の心には残る。指揮官というのは選手が一番不安な時にどう伝えて、どう導くかというのが大きいし、私自身、監督としても意識した。

 今、私が思うのは、高校野球は高校球児の最高の腕試しの場なんだ、ということ。その腕試しの舞台に、選ばれたチームの代表者として臨む。一概に楽しみなさい、というのはあまりにも芸がない。責任も伴い、楽しめはしない。そういう気持ちになれば、武者震いだってしてくる。

 結果が悪くても悲観することはない。腕試しだと思えば、足りないところも見えてくる。そして野球は高校で卒業しようとか、大学で、社会人でそしてプロでという選択肢も生まれる。腕試ししたい人間が集まって、今度はチーム試しになる。このチームはどこまで戦えるのか、と。これは強豪校でも、そうでなくても持てる気持ち。最高の仲間たちと、最高の夏に思う存分、腕試しをして欲しい。

 ◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡・大牟田市生まれ。59歳。東海大相模で、父でもある原貢監督と3度夏の甲子園に出場。センバツは2年生だった75年に準優勝。東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年新人王、83年は打点王とMVP。95年現役引退。野手総合コーチ、ヘッドコーチを経て2002~03、06~15年の通算12シーズン巨人を指揮し、2度のリーグ3連覇や3度の日本一に導いた。右投右打。

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