【石川】星稜、歴史的大勝で春夏連続出場 竹谷4発&南保3発 22点

スポーツ報知
4本塁打を放った星稜・竹谷

◆第100回全国高校野球選手権記念石川大会▽決勝 星稜22―0金沢学院(25日・石川県立)

 石川の決勝で、星稜がギネス級の猛打で金沢学院を22―0で下し、2年ぶりの出場を決めた。主将の5番・竹谷理央右翼手(3年)が4本塁打、4番・南保(なんぼ)良太郎三塁手(3年)が3本塁打と計7本塁打。3度が連弾だ。南保は今大会5本塁打で、星稜OBの元巨人、ヤンキースの松井秀喜氏(44)が持つ石川大会個人通算本塁打記録4本を塗り替えた。また、侍ジャパン高校代表候補の147キロ右腕・奥川恭伸(2年)が3安打完封。全5試合無失点の“完全V”で春夏連続の甲子園切符をつかんだ。

 南保が打てば、竹谷が続く。星稜の“NT砲”が、1、7、8回に3度のアベック弾を放つなど、2人で計7本塁打と大爆発。7本塁打、1三塁打、9二塁打を含む28安打22得点の猛攻に、一塁側スタンドは得点時に演奏される「星稜コンバット」が鳴りやむことがなかった。

 “ゴジラ”を超える本塁打ラッシュだ。星稜時代の松井氏と同じ「4番・サード」の南保は、今大会5本塁打。松井氏が1990~92年の3大会で記録した石川大会個人通算本塁打記録4本を、1大会で塗り替えた。竹谷はわずか1試合6打席で、松井氏の3年分の記録に肩を並べた。高校通算25本塁打の南保は「記録を超えたのは素直にうれしい。だけど松井さんを超えたなんて、口が裂けても言えない」と恐縮した。

 “NT砲”は唯一無二の親友だ。1年秋から朝は午前6時40分に集まり、夜は午後9時まで、2人でティー打撃など練習を重ねた。竹谷が「ライバルで競い合っている2人で打ててうれしい」と話すと、南保は「(竹谷は)しつこいっすね。自分が打ったら、あいつもマネして打つ」と笑わせた。竹谷は、誕生日に南保から贈られた黒地に白の天使が描かれたトランクスを「勝負パンツ」にしている。この日も「もちろんはいてます」とこっそり打ち明けた。

 第100回大会の甲子園では、開幕日に松井氏が始球式を行う。主将の竹谷は「松井さんが投げる甲子園に出ないといけないプレッシャーと闘ってきたが、解放されました」と息を吐いた。小学1年の時、米国人の父が松井秀喜ベースボールミュージアム(石川)の翻訳の仕事をしていた縁で松井氏と対面。「プロ野球選手になれるよう頑張ってね」と声をかけられたことを覚えているという。

 松井氏の1学年後輩で、三遊間を組み3度甲子園に出場した林和成監督(43)は「新チーム結成時は(11年の就任以来)下から1、2番に弱いチームだった。よく成長してくれた」と喜びをかみしめた。新チームは、6月の北信越大会まで公式戦17試合で1本も本塁打が出なかった。指揮官は「貧打のチームがまさかですよね。努力を重ねてきたご褒美が最後にありました」と目を細めた。

 センバツでは石川県勢最高成績に並ぶ8強進出を果たした。竹谷が「まずはベスト8。そして優勝旗を持って帰る」と話せば、南保も「甲子園に出るからには全国制覇を目指したい」と誓った。松井氏の始球式で幕を開ける100回大会で、星稜が主役になる。(勝田 成紀)

 ◆南保 良太郎(なんぼ・りょうたろう)2000年11月21日、石川・津幡町生まれ。17歳。小2で野球を始める。星稜中では9番打者。星稜高では2年春から出場。高校通算25本塁打。好きなプロ野球選手はオリックス・吉田正尚外野手(25)。趣味は卓球。星稜高のラップ選手権で準優勝の経験あり。家族は両親と姉。175センチ、75キロ。右投左打。

 ◆竹谷 理央(たけたに・りお)2000年8月31日、石川・小松市生まれ。17歳。小2で野球を始める。星稜高では1年春の北信越大会から出場。高校通算31本塁打。父は米国人で、曽祖父は元米プロ野球選手。名前の由来は祖父のミドルネームのLEO(ラテン語でライオン)。将来の夢はメジャーリーガー。就寝前にグリフィーJr.(元マリナーズ)とハーパー(ナショナルズ)の本塁打の動画を見るのが日課。173センチ、78キロ。右投左打。

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