西武・浅村栄斗、大阪桐蔭時代に夏全国Vへ導いた原動力は「プロへの意識」

スポーツ報知
08年夏の甲子園で活躍した大阪桐蔭時代の西武・浅村

 今週の「週刊報知高校野球」には、パ・リーグの首位を快走する西武のキャプテンとして活躍中の浅村栄斗内野手(27)が登場。2008年夏の甲子園では、大阪桐蔭の「1番・遊撃」として打率5割5分2厘をマークし、全国制覇の原動力となった。あの夏からちょうど10年。前年のセンバツではアルプス席で応援部隊にいた男は、なぜ大会の「主役」になれたのか。強豪校の中で競争に明け暮れた、自身の青春時代を振り返ってくれた。(取材・構成=小林 圭太)

 全国の頂点をつかんだあの夏から、10年になる。浅村は仲間とともに迎えた歓喜の瞬間を、懐かしげに回想してくれた。

 「月日は早く感じます。あっという間ですね。最後、みんなでグラウンドに集まって―という優勝した瞬間のことは、今でも覚えています。当時の仲間とは年に1度、年末に集合します。結婚している人も、独身の人もいるので全員は厳しいですけど、1年に1回、何人かは集まっています」

 そのバットは鮮烈だった。リードオフマンとして6試合で29打数16安打、打率5割5分2厘。3安打以上が実に4試合という暴れっぷり。初戦の日田林工(大分)戦では左右に打ち分け5安打。2回戦の金沢(石川)戦では2発を含む3安打の大暴れ。2発目は1点ビハインドの8回2死、初球ストレートを左翼席にブッ飛ばす同点弾となった。高校時代の印象に残るシーンには、この金沢戦を挙げた。

 「2発目は1点差で負けていて、走者なしで回ってきた。ホームランで追いつかないと負けてしまうな、という感じでした。何とか…という思いで打席に入ってホームランを打てたので、印象的に大きいですね」

 あの夏、なぜあれほどまでに活躍できたのだろうか。

 「プロへの意識がそうさせてくれたと思います。甲子園の前がちょうど進学先や、進路が決まっていくような段階でした。進路の面談もあって(西谷浩一)監督に、プロに行きたいという話をずっとしていました。社会人、大学よりも自分はプロに行きたい―と。そしたら、監督に甲子園で活躍しないとプロは厳しいと言われた。野球をやっていれば、みんなプロになりたいというのが普通。どうしてもなりたかった。そういうのもあって、甲子園では頑張らないといけないという思いがありました。その言葉を受けて、この夏の舞台でやってやらないと!と、原動力になりましたね」

 その暴れっぷりから、「甲子園史上最強の1番打者」に推す声もある。1番を打つきっかけは、どのようなものだったのか。

 「新チームから1番を打つようになりました。その後3番になって、最後の夏の前にまた1番に戻った。2年夏までは7番、6番とか下位の方です。3番を打たせてもらってた時期は、何とか自分で決めるとか、自分の一打で勝つということばかり考えていて、自分勝手なバッティングをしていて。それで監督がその意識をなくさせようという計らいで、最後の夏の前に1番にしてくれたんです」

 1番を務めるに当たって、心がけたことは何か。

 「とにかく塁に出るということ。3番の時のような『自分が、自分が』という思いをなくして、何とか塁に出て後ろに回すというのを心掛けるようになった。そのおかげでバッティングもいい方向に変わりました。監督には感謝しています」

 1年秋からベンチ入りしていたが、2年春のセンバツにはベンチ入りメンバーから“落選”した。

 「アルプススタンドで応援していましたね。むっちゃ悔しかったですよ。控えということで1年秋からメンバーには入れてもらいましたけど、レギュラーではなかったんです。実力とか技術とか、まだまだだったんだなと今思えば思います」

 しかし、2年夏から二塁のレギュラーに定着する。その要因は何だったのか。

 「2年春のセンバツに外れて、このままだったら新チームになっても試合に出られるか分からないと強く感じたんです。甲子園にも出れずに終わってしまうな―と。監督には『大阪桐蔭に来た意味を考えろ』と言われました。その言葉で、本当に目の色変えて真剣にやらないと、と気合が入った。2年の夏前くらいから、とにかくバットを振る量を人より増やす意識を持って、取り組んだと思います」

 大阪桐蔭では3人部屋の寮生活を過ごした。

 「野球もそうですが、生活ルールが本当に厳しかった。門限というより、寮からの外出が基本禁止ですから。携帯電話を持つことももちろんダメ。思い出ですか? 夜中に仲間たちと寮をこっそり抜け出して遊びに行ってたのは、楽しかったなぁ。当時、お金は全然持っていなかったので、ただコンビニに行ったりしたくらいですけどね。それだけでも楽しかったんです。でもそれが見つかったんですよ…。厳しく叱られましたね(笑い)。今となれば、思い出です」

 当時、憧れの選手は誰だったのだろうか。

 「(松井)稼頭央さん(当時アストロズ)とか中島(裕之)さん(当時西武)。守備もバッティングもうまくて、足が速い。僕はそういう選手が好きだった。ただホームランを打つ打者というよりも、走攻守で目立つ選手に憧れていました」

 高校時代、憧れた2人とプロで一緒にプレーできたのも、浅村がこの10年で進化できた理由かもしれない。そして今、憧れの選手に「浅村栄斗」と書く高校球児も増えてきた。奮闘する10代にエールを送ってもらった。

 「3年生にとっては、負けたら終わりの最後の夏。僕も楽しくやれればいいなと、仲間たちと話してやっていたのを思い出します。とにかく、楽しくやってほしいなと思いますね」

 ◆浅村 栄斗(あさむら・ひでと)1990年11月12日、大阪市生まれ。27歳。小4からソフトボールを始め、中学から大阪都島ボーイズでプレー。大阪桐蔭では3年夏に「1番・遊撃」として夏の甲子園で優勝。08年ドラフト3位で西武入団。13年には110打点でパ打点王と一塁のゴールデン・グラブ賞に輝く。16年には二塁のベストナインに選出。オールスターには13年から6年連続出場中。182センチ、90キロ。右投右打。年俸2億1000万円。

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