智弁和歌山・高嶋監督、高校野球は「人生そのもの」孫の入学を前に勇退

スポーツ報知
智弁和歌山・高嶋監督

 甲子園歴代最多の68勝を誇る智弁和歌山の高嶋仁監督(72)が25日、前日24日付で勇退したことを発表した。体力面と、ノックができなくなったことを主な理由に挙げ、今夏の第100回全国高校野球選手権記念大会が最後の指揮となった。後任はプロ野球の阪神、巨人などでプレーした、教え子の中谷仁コーチ(39)が務める。甲子園優勝3度、準優勝4度の名将は、名誉監督として同じ学校法人の智弁学園(奈良)の指導にもあたる。

 名将が指導者生活の第一線から退く決心をした。1970年に奈良・智弁学園のコーチに就いて48年。体力面の不安、それに伴って「ノックができなくなった」ことを退任の理由に挙げた。

 「いろんな病気もある。難病の貧血。薬も飲んでいる」。6、7年前にドクターストップがかかり、4、5年前からは長時間のノックをやめた。「ノックで『話をする』『怒る』ことがある。それが監督と選手の絆ができ上がる瞬間」。対話を重視してきた高嶋監督にとって、その大事な手段が取れなくなっていた。

 1、2年前から勇退するタイミングを模索し、第100回大会を区切りに、中谷新監督にバトンタッチした。「(今年新調された)優勝旗を触れなかったのが腹立つ」。湿っぽい惜別会見ではなく、いつも通り冗談も飛ばした。

 孫の高嶋奨哉君が来年4月に同校への入学を希望しているが、祖父の気持ちは複雑だった。1991、92年夏に長男の茂雄さんと甲子園に出場した経験を例に「身内がおるのはやりにくい。孫が入学する前に、3月31日付とかでもやめようと思っていた。孫はいじめるわけにはいかんですよ」と、豪快に笑った。

 歴代1位の春夏通算68勝には「あまり気にしていない」と無関心な一方で、歴代トップの同38度の出場には「誇り。選手がよくやってくれた」と感謝した。甲子園で敗退すると「1週間ぐらいすると震えが出てくる。禁断症状。ノックに力が入るし『このやろ~、そんなんで甲子園に行けるんか!』と声が出る。それが原動力。その繰り返し」と、聖地にかける情熱を燃やし続けた。

 2000年夏準々決勝の柳川(福岡)戦(7―6)、06年夏準々決勝の帝京(東東京)戦(13―12)などファンの記憶に残る逆転劇は数知れない。劇的な勝利の源は何か。「この選手はチームにどうしても必要や、と思ったら徹底的に、言葉は悪いですけど『死ぬんちゃうかな』と思うぐらい追い込んだ。そういうやり方でやってきた。しごいてきてよかった」と胸を張る。

 高嶋監督は高校野球を「ええ格好をすれば、人生そのもの」と答えた。記録にも記憶にも残る希代の名将。甲子園のベンチ前で仁王立ちする姿が見られないのは、あまりにも寂しい。(伊井 亮一)

 ◆高嶋 仁(たかしま・ひとし)1946年5月30日、長崎県生まれ。海星(長崎)の外野手として2年夏と3年夏の甲子園に出場。日体大を経て、72年に智弁学園の監督に就任。80年から智弁和歌山の指揮を執る。94年春に甲子園初優勝。97年夏、00年夏に全国制覇した。

 ◆高嶋監督の主な甲子園通算記録

 ▽68勝=史上1位 智弁学園で7勝、智弁和歌山で61勝。2位はPL学園・中村順司元監督の58勝(10敗)。また、通算35敗は史上2位(1位は福井商・北野尚文前監督の36敗)。

 ▽38度出場=史上1位 智弁学園で3度、智弁和歌山で35度。2位は福井商・北野前監督の36度。通算103試合も史上1位。2位は明徳義塾・馬淵史郎監督の81試合。

 ▽優勝3度=史上5位タイ 1位は大阪桐蔭・西谷浩一監督の7度。夏2度は3位タイ(1位は西谷監督の4度)。

 ▽勝率6割6分=史上17位 1位は大阪桐蔭・西谷監督の8割5分9厘(通算20勝以上が対象)。

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