桑田真澄さん、レジェンド始球式1球の重み…スパイク、ブルペンで記者を左打席に立たせデモ

スポーツ報知
準決勝第1試合のレジェンド始球式を務めたPL学園OBの元巨人・桑田真澄氏

 熱狂を巻き起こした夏の甲子園。激闘はもちろん、100回大会を彩った「レジェンド始球式」もファンの心に刻まれた。中でも金足農・日大三の準決勝第1試合に登板した元PL学園のエース・桑田真澄さん(50)=スポーツ報知評論家=はスパイクを履いてガチ投球に臨み、大観衆の度肝を抜いた。直前のブルペンで左打席に立ち、至近距離で球筋を体感した本紙の片岡泰彦アマ野球担当キャップ(39)が、桑田さんの真摯(しんし)な姿勢を「見た」でつづった。

 甲子園球場の一塁側ブルペン。アルプススタンドの下に位置する空間には、異様な緊張感が漂っていた。それを放っていたのは、桑田真澄。夏の甲子園大会準決勝で「レジェンド始球式」を控える50歳だ。現役を退いてから、すでに10年。だが、今もトレーニングを欠かしていない体形は現役時代とほとんど変わらない。そして、白球に正面から向き合う姿勢も現役当時から何一つ変わっていない。

 第100回の記念大会となった今夏の甲子園では連日、かつて聖地を沸かせたスタープレーヤーが第1試合に登場。始球式を務めたことも大きな話題になった。私は以前、本紙評論家を務める桑田さんを3年ほど担当していた縁もあり、ブルペンでの調整に居合わせるという幸運に恵まれた。

 本番に備え、この一塁側ブルペンで肩慣らしを済ませてから球場のマウンドに向かうのは、どのレジェンドも一緒だったという。だが、この男は何から何まで異彩を放っていた。

 まず、ブルペンをゆっくりとジョギング。肩や肘を伸ばしたり、腰をひねったりして体を温めていく。その後、人工芝の上に座って股割りをし、体の各部をじっくりとストレッチ。言葉はほとんど発さない。その目は真剣そのものだ。キャッチボールを始める前、おもむろにシューズを脱ぎ始めた。持参したスパイクに履き替えるためだ。

 見守っていた大会関係者も「スパイクを履いた人は初めてだ…」と驚きを隠せない。20球ほどのキャッチボールを終えると、いよいよマウンドへ。マネジャー兼専属捕手を座らせ、黙々と右腕を振り続ける。ミットをたたく乾いた音が、気持ちよさそうにブルペンに響き渡る。あまりの球速に、大会関係者も「バッターが振るのを忘れたりしないかな?」と心配顔だ。

 流れるような投球フォームだけでなく、抜群の制球力も健在。構えたミットが動くことはほとんどない。「さすがだな…」と感心していたら、まったく予想していなかった言葉が投げかけられた。

 「片岡! ちょっと左打席に立ってくれる?」

 何事にも万全の準備をしてから臨む桑田さんのことだ。金足農の1番打者・菅原天空内野手(3年)が左打ちなのはリサーチ済みだったに違いない。私は動揺をグッと抑え、桑田さんを待たせないように小走りで左打席に入り、見えないバットを構えた。

外角低め制球 以前も、桑田さんの投球を打席で見させてもらったことがある。その時は、あえて胸元を突いて私を驚かせたりもしたが、すでに桑田さんは本番モードに突入。シューっと音を立てて投げ込まれてくる直球は、すべて真ん中から外、そして低めに集められていた。

 当ててはいけない、という配慮からだろう。ラスト3球をいずれも外角低めに決めて、10球ほどのデモンストレーションは終わった。

 「両チームを元気づけるベストボールを」との思いを込めて投じた1球は、外角高めに少し浮いたが、球場全体から温かい拍手を送られた。その姿は「元巨人のエース」ではなく、甲子園の申し子とまで言われたPL学園時代のもの。完全に聖地に歓迎されていた。

 エスコート役の野球少年が背番号18だった―というのも、野球の神様のいたずらか。本当にいいものを見させてもらった。(アマ野球担当キャップ&元桑田番・片岡 泰彦)

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