大船渡・佐々木朗希、進路は「国内プロ1本」…来年ドラフト大注目の今秋2年最速タイ157キロ右腕

スポーツ報知
自己最速157キロを計測した大船渡・佐々木朗希

 高校野球は1日から、対外試合が禁止されるアウトオブシーズンに突入した。週刊報知高校野球では、今から春の訪れを待っている高校野球ファンのために、大船渡(岩手)の佐々木朗希(ろうき)投手(2年)を独占直撃独占直撃。今秋の県大会で2年生最速タイとされる157キロをマークし、名前こそ一気に全国に知れ渡ったものの、取材対応を試合日のみに限定している学校側の方針もあって、全貌はほぼベールに包まれたままだ。岩手・大船渡に足を運び、知られざる怪腕の素顔に迫った。

 11月23日。大船渡が今年最後の練習試合を行った現地に、東京から約4時間かけて足を運んだ。この日は高田とのトリプルヘッダー。だが、朗希は出場せず、バット引きやボールボーイなどを務めていた。今秋の県大会準決勝(対盛岡大付)で痛めた左股関節のけがが長引いているのだろうか。

 「そういうわけではないです。今日は寒いので…(この日は最高気温5度)。股関節は疲れがたまってた感じだったのでもう大丈夫です。県大会が終わった後は2~3週間ぐらいノースローで、バッティング練習をする程度でした」

 9月23日に行われた準決勝を振り返ってみる。勝てば、実に35年ぶりの東北大会出場が決まる一戦に先発した朗希は、強打の盛岡大付に対し、初回に2点を失うなど、10安打を浴びて7失点(自責6)で完投負け。10三振を奪って意地を見せた一方、8安打で5点を挙げた打線の奮起には応えられず。試合後には肩を震わせ、悔し泣きに暮れていた。

 「自分の力不足で負けさせてしまったことが、すごく情けなかったんです。みんなが頑張って点を取ってくれたし、あそこで(勝って東北大会出場を)決めた方がチームとしても楽だった。相手も強かったので、懸ける思いも強かったです」

 この試合で166球を投げきったダメージは色濃く、翌日に行われた専大北上との3位決定戦は無念の先発回避。1点リードの8回に救援登板したが、逆転負け。体力面に不安がある中、準決勝に“一発勝負”を懸けていたのでは―。そんな疑念をぶつけてみた。

 「次の試合は投げないとかそういうのはあまり考えてなかったです。あくまで、目の前の試合に全てを出し切るという意識でした。それで、次の日の朝、左股関節の状態を見て、監督さんに先発回避を伝えました」

 3位決定戦にも敗れたことで東北大会進出は逃した。それでも、11年の東日本大震災で津波による甚大な被害を受けた岩手沿岸部の学校だけに21世紀枠での来春センバツ出場を有力視する向きもあった。だが、県高野連は県推薦校に千厩(せんまや)を選出。この時点で大船渡がセンバツに出場する道は完全に断たれた。

 「選んでもらいたかったですね。でも、そういう評価だということを受け止めて、来年の夏に自力で甲子園に行けるように頑張りたいと思いました」

 これで、佐々木朗希という底知れぬ怪物を甲子園の舞台で見るチャンスは、来夏の1回だけとなった。だが、我々はこの男のことをほとんど何も知らない。素朴な疑問をストレートにぶつけてみた。なぜ、そんなにスピードボールが投げられるのか?

 「なんでなんですかね。速くなったのが結構、最近なので…。でも、けがをした期間をうまく使えたというのはあると思います」

 意外な事実だった。大船渡一中時代、エースナンバーをつけたのは2年秋の1度だけ。2年冬に腰を疲労骨折し、3年の最後の大会は「3番・一塁」で出場していたというのだ。それでも、リハビリ期間中に体幹を強化し、入念なストレッチで柔軟性を手にしたことで眠っていた才能が開花した。

 「中3の夏に『オール気仙』という陸前高田市、大船渡市、住田町の選抜チームに選ばれて、Kボールの東北大会に4番・ファースト兼抑え投手として出場したんです。その時には腰も治っていたので、130キロぐらい出ればいいなと思って投げたら、141キロが出たんです」

 高校では、背番号18をつけて初めてベンチ入りした1年夏に、最速147キロをマークした。だが、その秋に再び腰を痛めた。椎間板ヘルニアだった。

 「秋の県大会が始まる何日か前に発症したので、試合には出られませんでした。治るまでに3か月くらいかかりましたけど、その間に中学の時と同じトレーニングをしたら、今年の春には152キロが出ました」

 夏には154キロ、そして、秋に157キロを計測。順調すぎるほど順調に球速を上げているが、エースナンバーを背負ったのはこの秋から。夏までは背番号20をつけていたというのだから驚きだ。

 「次の目標は160キロオーバーです。高校生のうちに出したいし、もし誰かがそれを超すようなことがあれば、さらにその上をいきたい。スピードに関しては、自分が一番でいたいんです」

 そんな逸材が地元の公立校に進学した背景には、大きな理由があった。大船渡一中とオール気仙のチームメートから「みんなで大船渡に行こう」という声が上がったからだ。

 「Kボールのメンバーには、小学校の時に陸前高田で一緒だった人もいた。地震で大変な思いをした仲間と頑張ることに意味があると思うし、地元に恩返しもしたい。地元を盛り上げたいという気持ちもあります」

 すでに、練習試合にはメジャー球団のスカウトも視察に訪れている。岩手の先輩、菊池雄星や大谷翔平(ともに花巻東)のように、来秋には日米を股にかけた大争奪戦に発展する可能性もある。進路についてはどう考えているのだろうか。

 「プロ一本です。でも、メジャーと言われても全然実感が湧かない。いきなりアメリカに行くというのは、全く考えてないです」

 ◆佐々木 朗希(ささき・ろうき)2001年11月3日、岩手・陸前高田市生まれ。17歳。小3で野球を始める。小4だった11年の東日本大震災で被災し、大船渡に移住。高校では1年夏からベンチ入りし、今秋から背番号1。今年6月には実績がほぼない状態で高校日本代表候補にも選ばれた。球種はスライダーとチェンジアップ、フォーク。189センチ、83キロ。右投右打。家族は母と兄、弟。

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