【高校野球】銚子商元監督の斉藤俊之氏が死去 父・一之監督との父子鷹で甲子園に出場し、自身も監督として甲子園出場

スポーツ報知
銚子商元監督の斉藤俊之氏

 銚子商(千葉)を全国優勝に導いた故・斉藤一之監督の長男で、自身も同校の選手、監督として甲子園に出場した斉藤俊之(さいとう・としゆき)さんが19日午後0時30分、中咽頭がんで亡くなった。59歳だった。

 斉藤さんは千葉・銚子市出身。強打の黒潮打線をひっさげ、銚子商の監督として74年夏の優勝を含め、甲子園で春夏通算23勝(10敗)を挙げた名将を父に持ち、自身も銚子商でプレー。2年夏、3年春と父子鷹で甲子園に2度出場し、2年夏には8強入りを果たした。

 01年から母校の監督に就任し、05年夏には10年ぶりとなる甲子園出場に導き、1勝を挙げた。その後、長男・之将(ゆきのぶ)さん(28)との父子鷹で再び甲子園を目指したが、之将さんが3年生だった08年夏は、東千葉大会準々決勝で敗退。翌09年に成績不振を理由に辞任した。

 妻・正代さんによると、斉藤さんは過去にも耳下腺がん、悪性リンパ腫を患ったことがあり、3か月に1度程度のペースで通院していたという。昨年の暮れごろから「喉が痛い」と訴え、複数の病院を回ったものの原因が分からず、今年4月頃になってがんが発覚。その後は入退院を繰り返していたという。

 之将さんは現在、銚子市立銚子中の教員として野球部を指導。入院後、県大会出場を約束し、実際に地区大会を制してチームを県大会へと導いた。地区大会の優勝旗を持って病室に駆けつけると、斉藤さんは自分のことのように喜んだという。将来的には、3代にわたって銚子商の指揮を執ることも期待されている。

 通夜は22日午後5時から銚子市西小川町4652の1、セレモニーホール銚子中央斎場で。告別式は23日正午から同所で。喪主は妻・正代(まさよ)さん。

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