年表で振り返るイチローの野球人生…94年、NPB史上初の200安打
マリナーズ・イチロー外野手(45)が21日、現役引退を発表した。イチローの野球人生を年表で振り返る。
▼1973年 10月22日、父・宣之さん、母・淑江さんの間に愛知県で生まれる。
▼82年 小学3年生の時に豊山町スポーツ少年団に入団して本格的に野球を始める。
▼85年 小学6年で同チームをエースで4番として初の全国大会に導く。
▼86年 愛知・豊山町立豊山中学の軟式野球部に入部。
▼88年 中学3年で全国大会3位に食い込む。
▼89年 愛知の名門・愛工大名電高に入学。1年ながら三塁でレギュラーに。
▼90年 夏の甲子園に出場し、「3番・左翼」で先発も初戦で優勝した天理高に敗れて敗退。
▼91年 春のセンバツに「3番・投手」で出場も初戦敗退。高校3年間の打率5割超え。ドラフト4位でオリックスから指名を受ける。
▼92年 プロ1年目。7月11日に守備でプロ初出場。翌12日にプロ初安打。ジュニア球宴(現フレッシュ球宴)でMVP受賞。
▼93年 「9番・中堅」で初の開幕先発。6月12日に、野茂からプロ初本塁打。
▼94年 開幕直前に登録名を「イチロー」に変更。初めて年間を通して試合に出場し、NPB史上初の200安打となる210安打を記録し首位打者に。打者最年少(21歳)MVPに輝く。
▼95年 1月に本拠地・神戸で阪神・淡路大震災。MVP、首位打者などに輝き、チームをリーグVに導く。
▼96年 球宴でマウンドに上がり、高津を遊ゴロに打ち取る。2年連続Vで日本シリーズで巨人を破って日本一に。
▼97年 NPB記録となる216打席連続無三振を樹立。
▼98年 NPB史上初となる5年連続首位打者に。
▼99年 シーズン前にマリナーズのキャンプに参加。オープン戦にも出場した。NPB史上最速の757試合目で1000安打到達。シーズン終了後に元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚。
▼2000年 NPB最終年。打率は自己最高の3割8分7厘をマーク。オフにポスティングシステムでマリナーズ入りが決定。
▼01年 「1番・右翼」で開幕先発をつかむと、242安打の新人最多安打記録を樹立。メジャー最多116勝の強さでリーグ優勝。MVP、新人王、首位打者などに輝く。
▼02年 3割2分1厘をマークするも、NPB時代からの首位打者が8年連続で止まる。
▼03年 球宴に新人から3年連続で最多投票で選出。メジャー初の2ケタ本塁打となる13本塁打。
▼04年 5月に日米通算1465試合目で通算2000安打を達成。絶好調でメジャー記録となる262安打を記録。3割7分2厘でメジャー2度目の首位打者に。
▼05年 6月に史上3位のスピードとなる696試合目で通算1000安打達成。
▼06年 第1回WBCに出場し、1次予選から決勝まで全試合で安打を放ち、初制覇に大きく貢献。シーズンでも224安打を放ちメジャーでは2年ぶり3度目の最多安打。
▼07年 球宴で史上初のランニング本塁打を放ち、MVP受賞。238安打で2年連続最多安打。
▼08年 オープン戦で26打席連続無安打ながら、シーズンでは3割1分を放って最多安打に。
▼09年 第2回WBCに出場。不調に泣かされるも決勝でV打を放ち2連覇に貢献。9月に史上2位の速さでメジャー通算2000安打。
▼10年 10年連続200安打達成。3割、球宴選出、ゴールデン・グラブ賞も10年連続に。
▼11年 184安打、2割7分2厘でメジャーで初めて200安打、3割に届かず。
▼12年 7月にヤンキースへトレードで移籍。プレーオフに出場もリーグ優勝決定戦で敗れる。
▼13年 8月に日米通算4000本安打達成。
▼14年 メジャー移籍後最少の出場143試合にどどまり、オフにはFAに。
▼15年 マーリンズに移籍。自己ワーストの34打席連続無安打を経験。8月にタイ・カップの史上2位・通算4191安打を日米通算で抜く。最終戦ではメジャー初登板。
▼16年 6月にピート・ローズが持っていた通算4256安打を日米通算で抜き、ギネス記録に認定される。8月にはメジャー通算3000安打到達。
▼17年 シーズン代打安打が27本で、メジャー記録にあと1本と迫る。
▼18年 マリナーズに復帰。開幕戦に「9番・左翼」で先発も、5月に会長付特別補佐に就任して、その後は試合出場せず。
▼19年 渡米後初めてマイナーからの招待選手としてキャンプに参加。