【イチロー引退の真実】(上)10日前に決断 GMを訪ね「ザ・モーメント」

スポーツ報知

 21日に引退を電撃発表したイチロー。「50歳までプレーする」と公言していたレジェンドがどうしてユニホームを脱ぐことになったのか。数々のセレモニーが行われた舞台裏や本人の決断、球団と合意に達するまでに何があったのか、その経緯を3回にわたり明らかにする。

 キャンプ終盤、引退会見の10日ほど前、イチローはマリナーズのディポトGMを訪ね「ザ・モーメント(その時がきた)」とユニホームを脱ぐ決断を伝えた。イチローに敬意を払い、球団側からは一切、引退の時期などについてアプローチせずに、イチローの決断を優先していたのだった。

 ディポトGMは21日の試合前、本紙に「私とスコット(サービス監督)、ティム(へブリー広報)やオーナーたちと1年間にわたって、日本でのイチローをどうたたえられるかを話し合ってきた。それが昨日(20日)であり、今日(21日)だった」と2試合連続で、守備位置につけた上で交代させるセレモニーに関して話した後に「きっと君たちもすごく忙しくなるよ」とイチローの去就(引退)に関して動きがあることを示唆していた。

 マリナーズは昨季、2割5厘という低打率のイチローを、5月3日に代表付特別補佐に棚上げした。2019年の日本開催が決まっていたことでマ軍は、その試合に向けて調整させるという、過去のメジャーリーガーでは例のないシステムでレジェンドを遇した。

 日頃からストイックな練習ぶりを見せ体調面も30代の時と遜色ないイチローは、カムバックに自信を持っていた。キャンプでは、インパクトの前に両膝を深く曲げて体を沈ませ、バットを投手寄りに倒した新フォームに取り組み、打撃練習ではポンポンとフェンスを越えていった。ところが、オープン戦に入ると安打が続かない。米国内では25打数2安打。イチローは「もともと日本でプレーするところまでが契約上の予定だった。キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆せなかった」として、日本開催以降のメンバー復帰を断念。日本での第2戦を終えた時点でユニホームを脱ぐことを決断。深夜のロング会見となった。

(特別取材班)

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