【ヤクルト】小田元スカウト部長が死去 71歳肺がん、青木ら才能発掘
スポーツ報知

ヤクルトでスカウト部長などを務め、青木らの獲得に尽力した小田義人(おだ・よしと)氏が5日午前10時、肺がんのため静岡市内の病院で亡くなった。71歳だった。同日、ヤクルトが発表した。
小田氏は静岡市生まれ。静岡高、早大、大昭和製紙を通じ強打の一塁手として活躍し、72年ドラフト2位でヤクルトに入団。日本ハム、南海、近鉄で計11年間プレーし、通算887試合出場で打率2割5分6厘、67本塁打、274打点だった。
83年に現役引退後は近鉄スカウトを務め、母校・静岡高から後のリリーフエースとなる赤堀元之を獲得。その後、ヤクルトで2軍打撃コーチなどを務め、95年からスカウトに。チーフスカウト、スカウト部長などを歴任し、早大の後輩でもある青木の才能にいち早く注目。日米通算2000安打をマークした安打製造機を発掘してみせた。
16年7月のヤクルト退団後も野球への情熱は衰えず、17年2月に学生野球資格を回復して静岡高の外部コーチに就任。週に2度のペースでグラウンドに足を運び、打撃コーチ時代に培った指導法で同校を昨春、今春と2度の甲子園出場に導いた。だが、今年に入ってからは体調を崩して入院生活を送っており、今春のセンバツもチームに帯同できず、初戦(対駒大苫小牧)のみバックネット裏で観戦したという。
通夜は8日午後6時、出棺は9日午前9時30分、葬儀は同日午後0時30分から、いずれも静岡氏葵区沓谷1316の11、「妙像寺」で。喪主は妻・匡子(きょうこ)さん。