【西武】大石、森コーチ一周忌に「慎二さんとの出会いがなければクビになっていた」

突然の急死からまもなく1年―。西武は28日、森慎二1軍投手コーチ(享年42)の一周忌を迎える。同日の試合には、ベンチとブルペンに背番号「89」のユニホームが掲げられることが、分かった。当時は主にブルペン担当として手腕を発揮していた。2軍担当だった15年にファームで指導を受けていた“まな弟子”の大石達也投手(29)が、現在の心境を明かした。
―1年前を思い出すことは
「思い出すことはありますけど。それで落ち込む、しんみりするのも違うと思うので。やるしかないので。今は自分のことで必死です」
―亡くなられた時の気持ち
「最初は本当に信じられなかった。福岡でちょっと体調悪いから入院するとなって。そこから沖縄に行って、2、3日後だったので。その日は何も考えられなかった。ギンジ(炭谷)さんとメシに行こうと言われていたんですけど、今日は無理です、ということで。だいぶ時間はかかりました。自分の中で。部屋ではずっとボーッとしてました。寝られましたけど、寝付きはあまり…」
―自分の中で受け止められたのはいつ
「ちょっとして、追悼試合があって。けっこうたったかな。けっこうの間、マウンドに上がるたびに、泣きそうになっていました。追悼試合の時は、かなりやばかったです。泣きそうだったですけど、こらえて。投げ終わって、ベンチ裏で泣いちゃったりしました。その後もそういうのが続いて。気づいたら、何か落ち着いていました」
―森さんに教わったことで一番印象に残っていることや言葉
「いろいろありますけど。一番よく言われたのは、『投球で楽するな』『フォークは思い切り叩きつけろ』と。それが今も自分の中では、調子が悪いときとか、そういう言葉を思い出して。練習方法もいろいろやっていますね」
―14年は肩を痛めていて、コーチとの出会いは一つの転機
「13年はちょっと投げたか。14年に投げられず、今年クビになるかなと思っていたら、ならず。それで、慎二さんと会ったので。そこから状態もちょっとずつよくなった。その出会いがなければ同じようにズルズルいって。15年も1軍で3試合くらいしか投げていないですけど。自分の中ではちょっとずつ手応えはあった。それがなければ、15年、16年とズルズルいって、クビになっていたかなと思う」
―当時ファームではどんな指導を
「技術的にどうこうより、よくマンツーでトレーニング方法を教えもらった。ブルペンに行って、慎二さんがチューブを持って、僕が腰に巻いて。トレーニングのような体の使い方を体に染み込ませるトレーニングをずっとやっていました。(二人三脚で?)そうですね」
―どんな人柄だった
「本当に優しかった。いい兄貴分じゃないですけど。コーチなんですけど、コーチというより先輩。コーチというと一線あるんですけど。何でも聞ける人」
―28日にまたユニホームを掲げる。当日を迎える気持ち
「1年なんで。しっかり投げることがあれば、ちゃんと投げられているところを見せられたらいいと思います。(もう気持ちは乱れない?)ないと思います。その日になんないと、分からないですけど。今のところは大丈夫です」
―しっかり投げることが大事
「慎二さんがいたとしても、俺のことで、メソメソすんなと絶対、言われると思うので」
―秋にいい報告をできたらいい
「一番はけがしないこと。気をつけながらやりたい」