【ロッテ】福浦が2000安打へ「あと3」…同期の小野晋吾2軍投手コーチが大記録へエール

スポーツ報知
ロッテ・小野晋吾2軍投手コーチ

◆ロッテ1―3楽天(16日・ZOZOマリン)

 ロッテ・福浦和也内野手(42)が通算2000安打まで残り3本に迫った。1992年のドラフト6位で同期の小野晋吾2軍投手コーチ(43)が、入団1年目を振り返るとともに、大記録達成へのエールを送った。

 和也が打者に転向することになったきっかけは1年目の球宴休みの時。当時2軍の打撃コーチだった山本功児さんから「お前らバッティングがいいらしいな。ちょっと打ってみろ」と僕と和也が呼ばれた。昼のランチの時に10分、20分くらいかな。午後の練習が始まる前に2人で打撃を見せた。その時点で2人とも投手として見切られてたのかなっていう感じだった。

 プロに入って1年目の半分くらい。もともと和也は打撃がいいのは知っていた。僕も高校(御殿場西)では3番を打ったりしていた。投手としては体力的にもこの世界でやっていくには厳しいと感じていた時期。和也も同じく感じていた部分もあったと思う。2人してランニングにもなかなかついて行けない状況。ポール間走は吐きながらに近い状態だった。「プロの壁」というか、2人でついて行けるのかなという感じだった。ドラフト2位の立川、3位の大塚(現1軍外野守備走塁コーチ)は先に1軍で出ていた。その2人と僕ら2人は同じように見られていないなと感じていた。

 その時のランチ特打で和也はポンポン、ネットを越える打球を打っていて、僕は内野ゴロのオンパレードだった(笑い)。そこで和也は野手で、僕は投手で行くとなった。ほんの10分、20分くらいで人生が完全に別れた。彼は野手になって本当によかった。

 僕が2013年に現役引退した時に「6、7位で入ってよくここまでやれたよな」という話をしたよね。引退セレモニーの時に和也が花束を渡してくれた時のことは今でも覚えています。和也には「2000本打つまでは頑張ってくれよ」と言葉をかけた。返事は「がんばるよ」と、短かったですけど、あまり話をするタイプじゃないので、和也らしかった(笑い)。

 4年目くらいから和也が1軍で試合に出るようになって「よし、俺も頑張らなきゃ」という気持ちに変えてもらえた。自分も励まされた。それは和也のおかげだった。僕が投げた時もたくさん助けてもらった。僕が初勝利した時も一塁で出て、勝ち星もたくさんつけてくれた。感謝しています。

 2000安打まであと少し。本当に大打者になったと思う。君の頑張っている姿を見てこられたのは僕の財産です。底辺を知っているので余計にそう思います。

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