【オリックス】引退の小谷野「パニック障害を受け入れ覚悟ができた」…独占手記

スポーツ報知
引退セレモニー後、小谷野はナインに胴上げされ笑顔を見せる(カメラ・谷口 健二)

◆オリックス4―6ソフトバンク(5日・京セラドーム大阪)

 今季最終戦のソフトバンク戦で引退セレモニーに臨んだオリックス・小谷野栄一内野手(37)は、9回に代打で出場。遊ゴロで現役生活に別れを告げた。スポーツ報知に独占手記を寄せ、幼なじみの中日・松坂大輔投手(38)への思いや、パニック障害を発症した当時の記憶など赤裸々に明かした。

 もう、緊張し過ぎて、何回吐いたかわからない。そのなかで、この達成感は初めて。1年目のプロ初安打と同じ10月5日に引退できるなんて、縁を感じる。これから、野球人生で一番の日を聞かれると、この日になるんじゃないかと思う。打席に入るときは泣くつもり、なかったんだけどね。結果は遊ゴロでも、精いっぱいを出せてよかった。

 振り返ると、周りに本当に恵まれていた。特に、松坂世代と呼ばれることは誇り。少年野球の頃、東京の同じ地域にマツ(中日・松坂大輔)のチームがあった。自分も投手をしていたから小学5、6年のときによく投げ合っていた。1度も、勝ったことはなかったけど。だから、そんなすごい選手と一緒にプレーしたくて、中学から同じ江戸川南リトルシニアに入った。間近で一番いい投手を見て、早い段階で「野手でいこう」と、気づかせてもらえた(笑い)。

 自分からしたら、同級生はみんなスーパースター。食事に行っても、恥ずかしくて連絡先を聞けない。マツや球児(阪神・藤川)の電話番号も、実は引退を決めてから、知人が教えてくれた(笑い)。今年の9月下旬、引き際を考えたときにマツに知人を介して心境を伝えた。「決断を尊重する」といってくれた。あれで、踏ん切りがついたかな。彼らがいたから、ここまで頑張ってこれた。

 右肘2回に両足首と手術は4回受けた。骨折も何回したか覚えていない。だけど、野球をやめたいと思ったことはない。野球を“やれない”と思っただけで…。

 プロ4年目の2006年にパニック障害と診断された。最初は吐いたり、急に目眩がして、体の病気だと心配になった。でも、精密検査を受けても、異常がないから、心療内科に行ったら…。もともと人前に立つのは苦手だし、そういう部分があったのかもしれない。「まさか」、「そんなことはあるはずがない」という絶望からスタートした。

 5か月間ほど、引きこもった。こんな言い方は絶対によくないけど、楽になりたかった。「睡眠薬をこれ以上飲んだら、“苦しまなくて済む”かな」とか。薬を過剰摂取してしまったのか理由は思い出せないけど1、2日寝たきりになったことがあって、それでも、生きていた。そのとき、ドーピングに引っかかる薬を拒む自分がいた。

 「野球をやりたい」―。

 その気持ちが生きる希望だった。いまは病気を個性と受け入れ、覚悟が生まれた。“なってよかった”とさえ言えるよ。

 小学2年のとき、父親に連れていってもらった東京ドームで田中幸雄さん(日本ハム)の姿に憧れて、始まった野球人生。日本ハムで12年、オリックスで4年、プロで16年間もできると想像していなかった。

 わがままな自分を受け止めてくれる妻(麻美夫人)や両親、日本ハム時代に病気を理解し、復帰を後押しくれた福良監督、ファンの方をはじめ、多くの支えがなければ、間違いなく、ここにはいない。本当にありがとうございました。(オリックス内野手)

 ◆小谷野 栄一(こやの・えいいち)1980年10月10日、東京都生まれ。37歳。創価高を経て、創価大に進学。2002年ドラフト5巡目で日本ハムに入団。10年打点王。ベストナインを1度、ゴールデン・グラブ賞を3度獲得。通算1394試合に出場し、打率2割6分4厘、71本塁打、566打点。177センチ、88キロ。右投右打。年俸6300万円。既婚。

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