【日本ハム】ソフトボール出身の大嶋「元々、公務員になりたかった」プロ7年間を振り返る〈1〉

2018年10月23日14時0分  スポーツ報知
  • 2016年6月3日、巨人との交流戦で中前安打を放つ大嶋(投手はマシソン、捕手は小林)
  • 12年2月9日付本紙

 早大ソフトボール部出身という異色の経歴を持つ、日本ハム・大嶋匠捕手(28)が今オフ、現役引退を表明した。中学から大学までの10年間、ソフトボールに熱中し、日本代表として国際大会でも活躍した強打の捕手。高校野球未経験者がプロの世界で7年間、硬球を握り、感じたことは何か。単独インタビューを2週にわたってお届けする。前編では、誰もが度肝を抜かれたドラフトから、プロ1年目のキャンプまでを振り返ってもらった。(構成・加藤 弘士)

 「元々は地元に帰って、公務員になりたかったんです。高崎市役所には男子ソフトボール部があって、僕の高校の先輩とかもそこでソフトボールをやっているので。全国でも強いですし」

 群馬県前橋市の出身。小3から軟式野球を始めたが、中高一貫校・新島学園でソフトボールに転向。高校総体、国体で優勝するなど確かな実績を残し、早大でもソフトボール部に入部。U―19の日本代表にも選ばれ、強肩と長打力で鳴らした。将来は故郷で安定した仕事に従事しながら、ソフトボールもプレーできる―。ささやかな人生設計が急転したのは早大2年時。同部の監督で、ソフトボール界では世界的なカリスマ指導者としても知られる吉村正教授の一言だった。

 お前は野球をやれ―。

 「僕としては高校の頃からずっと、『市役所に行きたい』と思っていて、ましてや中、高、大とソフトボールじゃないですか。『何を言ってるんだろう、この人は』と思っていました(笑い)。当時は冗談半分で聞いていましたね」

 吉村教授は本気だった。親交のある球界関係者に連絡し、大嶋の指導を依頼した。その中にはビッグネームも含まれていた。

 「荒川博【注1】さんや、西武の前監督の田辺徳雄【注2】さんとか…。田辺さんは早大人間科学部のeスクールで吉村先生のゼミで学んでいました。僕はソフトボール部なので硬式野球部の部員と違って、プロの方と接しても全然問題ないので(笑い)。結構グラウンドに来てくださって。当時は西武の2軍コーチだったのですが、いろいろ話を聞かせていただきました」

 早大OBでもある日本ハムの大渕隆スカウトディレクター(現スカウト部長)が吉村教授からのリクエストに応え、初めて視察したのは、大学3年の3月だという。そこで10月の入団テストへの受験を勧められた。それまでに硬式野球の練習をしないといけない。さて、場所はどうしようか。

 「3人でそんな話をしていたところ、たまたま当時セガサミーの監督さんだった西詰(嘉明)さんから大渕さんに電話が来たんです。そんなこともありまして、セガサミーの練習に交ぜていただくことになりました」

 初めてプレーする硬式野球は、強豪社会人チームの中で―になった。大学4年時はソフトボール部の主砲に君臨しながら、硬式の練習にも全力で取り組んだ。

 「最初は硬球がゴルフボールみたいに小さいなって(笑い)。セガサミーの先輩方が本当にいい人たちばっかりで、助けられました。4年時はソフトボールと硬式が7対3の割合で練習していましたね。セガサミーは社会人でもトップレベル。ウェートトレの仕方など、練習法をひたすら見て、チームに帰って還元しました」

 相乗効果もあったのだろう。4年時、大嶋は公式戦で13試合連続本塁打を記録している。そして入団テスト。大嶋は気後れすることなく、でっかい声を出し続けた。ソフトボールでの自分のスタイルを貫いた。

 「一人、浮いていたぐらいに、めっちゃ声を出しました。それで獲ってもらえたんだと思います(笑い)」

 そして迎えた運命のドラフト会議。事前に指名の確約はなかった。

 「指名されるとは全然思っていなくて。うおお、日本ハムは1位で菅野か!ってフツーに驚いていました。4位でコンちゃん(近藤健介)を指名したので、ああ、捕手を獲ったから、僕はないかなと。そしたら…」

 7位指名。ドラフト会場に流れた「早大ソフトボール部」のアナウンスに、場内がどよめいた。スポーツ各紙の編集局も慌てた。ドラフト翌日の売り物といえば「指名全選手名鑑」なのだが、大嶋の顔写真は事前に準備していない。一人だけ穴を開けて新聞を発行するわけにはいかない。記者は一目散に早大所沢キャンパスへと飛んだものだ。

 プロ野球選手にとってのお正月は2月のキャンプイン。1年目のキャンプで覚えていることは何だろうか。

 「それまで朝から夕方まで野球をしたことがないので、体はキツかったです。サインもソフトボールではほとんどノーサインでやっていたんで。サインの数も違いますし、守備のシフトのサインとか、やったことがなかったんで。だいぶしんどいなと思っていました」

 キャンプインから1週間。2月8日には1軍の紅白戦に出場することになった。2軍キャンプ地の国頭から1軍の名護へ向かった。

 「緊張感がありました。テレビで見た人、という感覚だったんで。うわあ、稲葉さんがいる、金子誠さんだ、糸井さん、デカッ!という。中田翔は同世代に見えませんでした(笑い)」

 そこで大嶋はド派手な鮮烈デビューを飾る。白組の「8番・DH」で先発出場すると3回1死、カウント2ボールで、植村祐介から初スイングでバックスクリーンに特大弾を叩き込んだのだ。異色の経歴を持つルーキーに、メディアは色めき立った。報道陣との距離感には当初、戸惑いもあったという。

 「紅白戦の前日に立ち話で取材を受けて、『あす紅白戦ですけど、どうですか』と聞かれて。『1打席でももらえれば、それだけでありがたいです。十分です』と話したんです。そしたら、強気の方に受け取られてしまいまして。『1打席あれば十分です!』みたいな(笑い)。それにしてもよく、バットに当たりましたよね」【次週の後編に続く】

 【注1】荒川博氏は早実、早大を経て1953年に毎日入団。巨人の打撃コーチとして、伸び悩んでいた王貞治に「一本足打法」を指導したことで知られる。74年からはヤクルト監督も務めた。2016年12月4日に死去。享年86。
 【注2】田辺徳雄氏は西武の名遊撃手として90年からのリーグ5連覇に貢献。引退後は西武の2軍、1軍打撃コーチを歴任。15年からは監督を務めた。現在は西武の球団本部チームアドバイザー。

 ◆大嶋 匠(おおしま・たくみ)1990年2月14日、群馬・前橋市生まれ。28歳。小3から軟式野球を始め、中高一貫の新島学園中でソフトボールに転向。同高では高校総体、国体優勝。世界男子ジュニア選手権3位。早大では2008年、U―19全日本の4番を務め、10年のU―23ワールドシリーズで優秀選手賞。11年ドラフト7位で日本ハム入団。180センチ、91キロ。右投

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