ロッテ・井口監督に「ゴールデンスピリット賞」野球教室や小児病棟・障害者施設訪問、被災地復興尽力(1)

2018年11月3日6時0分  スポーツ報知
  • ゴールデンスピリット賞を受賞し、ノックバットを手に笑顔を見せるロッテ・井口監督(カメラ・酒井 悠一)
  • ゴールデンスピリット賞歴代受賞者

 プロ野球人の社会貢献活動を表彰する報知新聞社制定「ゴールデンスピリット賞」の第20回受賞者が2日、ロッテ・井口資仁監督(43)に決定した。アマ時代に社会貢献活動を開始し、プロ入り後は自身が代表を務める「愛基金」を通じて野球教室やボランティア、被災地の復興支援に尽力。活動は多岐にわたり、20年以上の継続性も評価された。また王貞治(78=ソフトバンク会長)、吉村禎章(55=巨人打撃総合コーチ)両氏が特別賞を受賞した。表彰式は12月4日に都内のホテルで行われる。

 現役時代に数々の記録を打ち立てた井口監督に、新たな“勲章”が加わった。平成最後となった受賞の知らせを聞くと、勝負師とは違う柔らかい表情で喜びを口にした。「いろんな方々に支えてもらいながらやってきたことなので素直にうれしい。僕だけじゃなく、施設のセッティングや訪問先とのアポイントを取り付けてくださった方々に感謝したい。その方たちとこの賞を分かち合いたい」。これまで共に活動に協力してくれた支援者一人ひとりの顔が真っ先に浮かんだ。

 活動の第一歩は1997年3月。プロ入りを控えた青学大4年時に故郷・西東京市役所を訪問した際、ボロボロの車いすが目に入ったことだった。「こういうところには支援が行き届いてないのかなと思った」ことが原点だった。これまでに車いすは42台、加えて自動体外式除細動器(AED)も6台を寄付。今では市民の生活にしっかりと根付いている。プロ入り後も「愛基金」を通じて野球教室をはじめ、小児病棟や障害者施設への慰問、東日本大震災の復興支援など幅広い活動に尽力してきた。

 20年以上も活動を続けてきた中で、命を左右する現場にも立ち会った。Wソックス時代の2007年4月。心臓移植手術を受けるため、シカゴの病院に入院していた埼玉県熊谷市の松本拓也君(当時12歳)の激励に訪れた。手術費用として100万円を支援団体に寄付。移植手術も無事に成功した。訪問から2か月後、拓也君を13歳の誕生日だった6月6日のヤンキース戦に招待。試合前には同級生でヤ軍の松井秀喜氏も加わって記念撮影を行うなど交流を深めた。「手術した時の生存確率を聞いた時はシビアな数字が出ていた。それでも移植にチャレンジすることはなかなかできないこと。テレビとかで呼び掛けない限り、なかなかお金も集まらないですし、少しでも貢献できたのはうれしかった」。一人の少年の命を救えた感動はこの先も忘れることはない。

 井口監督は「生きている間はずっとこういう活動ができればいい。若い人に野球を伝えるのも仕事ですし、こういう活動も伝えていきたい」と新たな誓いを立てた。野球と同じく、社会貢献の大切さも伝道師として後世へと伝えていく。(長井 毅)

 ◆ゴールデンスピリット賞 日本のプロ野球球団に所属する人の中から、積極的に社会貢献活動を続けている人を表彰する。毎年1回選考委員会(委員名別掲)を開いて、球団推薦と選考委員推薦で選ばれた候補者から1人を選定する。社会貢献活動の表彰は米大リーグの「ロベルト・クレメンテ賞」が有名で、球界での最高の賞として大リーガーの憧れの的になっている。日本では球場外の功績を評価する表彰制度は同賞が初めて。いわば「球場外のMVP」。受賞者にはゴールデントロフィー(東京芸術大学名誉教授・絹谷幸二氏作製のブロンズ像)と阿部雄二賞(100万円)が贈られる。また受賞者が指定する団体、施設などに報知新聞社が200万円を寄贈する。

 ◆阿部雄二賞 本賞を第1回から協賛している株式会社サァラ麻布の代表取締役社長・阿部雄二氏が2001年4月9日に逝去したことを受け、報知新聞社が「阿部雄二賞」を創設した。

 ◆井口 資仁(いぐち・ただひと)1974年12月4日、東京都生まれ。43歳。青学大から96年にダイエーを逆指名し、ドラフト1位で入団。2005年、自由契約選手としてWソックスに移籍。フィリーズ、パドレスを経て09年にロッテ入り。盗塁王2度。ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞を3度ずつ受賞。日米通算2408試合で打率2割7分、295本塁打、1222打点。178センチ、91キロ。右投右打。

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