【DeNA】時々過激な「高田GMタイム」…岸が見た18年総集編

スポーツ報知
高田繁氏

 横浜の街を歩きながら、高田GMが言った言葉が心に残っている。球団創設から7年間務めたGM退任会見後、番記者を引き連れ駐車場へ向かっていた時だった。「あっ! 会見でひとつ言うのを忘れていた。みんなにありがとうって。オレが言うことを全部記事にされていたらこの年までやれていないからな」。73歳の表情は穏やかだった。

 「GMタイム」は担当記者の楽しみだった。キャンプでは朝の練習準備中。記者室に足を運び、熱いコーヒーをすすりながら我々と談笑。シーズン中は練習中。ラミレス監督の試合前取材が終わるとベンチで話は止まらなかった。「食事までの暇つぶしだ」とうそぶいたが、三原球団代表は「GMは『ちょっと仕事に行ってきますかね』って(球団)ブースを出てベンチに行っていたよ」と明かしてくれた。

 ここまでサービス精神を持ってフランクに話す球団トップはいない。しかも栄光のV9戦士がだ。担当になって1か月の2月、ほぼ取材もしたことがないのに名前で呼ばれた時には驚いた。担当記者の顔と名前はもちろん、旧知の記者もほぼ記憶していた。我々に対し、書けないような内容を過激な言葉で応戦することもしばしば。私も「昔の報知の記者は優秀だったぞ。だからお前はダメなんだ!」と何度も叱咤(しった)激励をいただいた。冗談の中に本音とユーモアを交え、どんな時も応じてくれたからこそ“オフレコ”は世に出なかった。

 そんなGMの誇りは巨人に入団した1968年から“浪人年”なく野球界に携わってきたことだ。「50年間、一度も離れることなくいるのは王さんとオレくらいじゃないか?」とうれしそうだった。80年に引退後、2球団で監督、2球団でGM。巨人ではコーチ、2軍監督。それ以外は常に新聞、、テレビなどと契約し評論家活動を行ってきた。実績、手腕、人徳、何より健康でなければできない偉業だ。

 そして51年目の今年。シーズン中「オレは終身GM。名誉はないけど」と、巨人・長嶋終身名誉監督と比べ、冗談を飛ばしていたが、ついに卒業した。「やり残したことはない」。今後は体が元気な限りアマチュアの指導を行う予定で野球愛は尽きない。またどこかで辛口コメントを聞けそうな気がする。(DeNA担当・岸 慎也)

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