【広島】緒方監督、父・義雄さんへの思いがV3の原動力だった…担当記者が振り返る

スポーツ報知
日本シリーズでの緒方監督

 ソフトバンクとの日本シリーズに敗れ、34年ぶりの日本一には届かなかった広島。緒方監督が生まれ育った佐賀・鳥栖市では、父・義雄さん(83)が自宅で吉報を待ち望んでいた。

 球場で観戦したのは2009年の引退試合が最後。今回のシリーズもテレビに声援を送り続けたが、惜しくもかなわなかった。それでも、球団初のリーグ3連覇に導いた愛息の戦いぶりに「(応援してくれる)皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。私も元気をもらってます」と感無量の表情を浮かべた。

 敵地で王手をかけられた第5戦の翌日。緒方監督は広島に戻る前に故郷へ向かい、1995年に亡くなった母・孝子さんの墓前に手を合わせた。「墓参りに行っただけ。自宅? 顔出せるかよ。3連敗して(父親が)泡吹いとるかもしれん」と冗談めかしたが、内に秘めた家族を思う気持ちは強い。

 3代目として鮮魚店を営む義雄さんの息子として生まれた。野球の練習がない時は家の手伝いもきっちりこなし、手のかからない子どもだったという。小学生の頃「自転車が欲しい」と両親におねだりしたことがあったが、「ちょっと待ちなさい」と母親に言われると、その後は自分で必要なお金をためようと新聞配達を始めた。親に負担をかけたくない―。そんな思いからの行動だった。

 義雄さんは2年前に体調を崩し、入院した。当時、チームは25年ぶりのリーグ制覇へ快進撃を続けていたが、連戦の合間を縫って2度、病院に駆けつけると「父さん、もう仕事を辞めてほしい。俺の言うことを聞いてくれ」と語りかけた。

 指揮官の思いが通じ、病状は回復。今年の正月に帰省した際には、父から「私もこんな年齢だから。今年こそ日本一になってくれ。そうせんと死なれんよ」と声をかけられ、思わず笑った。重圧をはねのけ、偉業を成し遂げたのは、何物にも代え難い大切な存在が原動力になっていた。

 シリーズ終了直後、「悔しいだけじゃ終われない」と早くも次の戦いを見据えた。来年は、悲願の日本一を手土産に凱旋を果たすつもりだ。(種村 亮)

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