立浪氏、権藤氏、脇村氏が平成最後の野球殿堂入り

スポーツ報知
野球殿堂入りを果たした(左から)立浪和義氏、権藤博氏、脇村春夫氏

 今年の野球殿堂入りが15日、都内の野球殿堂博物館で発表された。プレーヤー表彰で通算2480安打を放った元中日・立浪和義氏(49)、エキスパート表彰では元横浜監督で日本一に導いた権藤博氏(80)、アマ球界などが対象の特別表彰では元日本高野連会長の脇村春夫氏(87)が選出された。

 立浪氏は87年にPL学園(大阪)の主将として甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で中日入りし、翌88年に新人王、高卒新人初のゴールデン・グラブ賞に輝いた。03年にセ・リーグ最年少の33歳10か月で2000安打を放ち、09年の現役引退まで歴代8位の通算2480安打をマーク。ベストナインに2度、ゴールデン・グラブ賞には計5度輝き、通算487二塁打は歴代1位を誇る。

 61年中日に入団した権藤氏はプロ1年目に429回1/3を投げ、35勝、防御率1・70で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振。新人王、沢村賞を受賞した。タフな連投ぶりは「権藤、権藤、雨、権藤」と評された。右肩痛で69年に現役引退。通算82勝60敗、防御率2・69。中日、近鉄などでコーチを歴任し、投手分業制を確立した。98年には横浜監督として「マシンガン打線」で38年ぶりの日本一。17年WBCで侍ジャパン投手コーチを務めた。

 脇村氏は1949年夏の甲子園で初出場初優勝した湘南(神奈川)の三塁手。東大野球部では主将を務めた。東洋紡富田で都市対抗出場。02年に第5代日本高野連会長に就任し、プロアマ関係の改善、特待生問題の解決に尽力した。

 立浪和義氏「殿堂入りという大変名誉なところに入らせていただき、光栄に思います。子供の頃は体があまり大きくなくて、プロで大きくない方が活躍されているのが何よりの励みでした。たくさんの方に支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです」

 権藤博氏「佐賀の鳥栖から田舎者が一旗あげようと中日に入り、2年間はやりましたが、その後は故障続きで苦しいことばかりでした。中日、近鉄でコーチをして優勝、横浜の監督を任されて38年ぶりの優勝と、選手にファンに恵まれ、運が良かったと思います」

 脇村春夫氏「殿堂入りは全くあり得ないことと思っておりました。(理由が)あるとすれば、高野連の会長としてプロアマの問題を軌道に乗せたことでしょうか。まさか殿堂入りとは思っていなかったので光栄の至りです」

 ◆野球殿堂とは

 日本の野球の発展に貢献した人の功績をたたえるため1959年に創設。競技者表彰(プレーヤー、エキスパート)と特別表彰がある。競技者表彰97人、特別表彰107人の計204人。

 ▽プレーヤー表彰 引退後5年を経過したプロ野球選手で、その後15年間が選考対象。競技者表彰委員会の幹事会が有資格者から候補者を選考、野球報道経験15年以上の委員(約300人)が投票し、有効投票数の75%以上の得票で殿堂入り。

 ▽エキスパート表彰

 有資格者は(1)現役を引退したプロ野球のコーチ、監督で引退後6か月以上経過した人、(2)引退後21年以上経過した人。(1)、(2)から競技者表彰委員会の幹事会が候補者を選考し、殿堂入りした人(約30人)と、同委員会の幹事と野球報道経験30年以上の委員(約70人)が投票。有効投票数の75%以上の得票で殿堂入り。

 ▽特別表彰 アマ野球競技者やプロ、アマの組織、管理にかかわり野球の発展に顕著な貢献をした者、プロ、アマの審判員も対象となる。プロ、アマの役員、野球関係の学識経験者が選考

 ◆開票結果(上位3名)

▽プレーヤー表彰=当選必要数279(得票数)
立浪 和義 287
高津 臣吾 225
宮本 慎也 153

▽エキスパート表彰=当選必要数100
権藤 博  102
田淵 幸一 86
バース   84

▽特別表彰=当選必要数11
脇村 春夫 13
川島 勝司 6
岡田 功  5
水島 新司 5

 ◆最近の殿堂入り

▽09年
若松勉☆、青田昇★、大社義規、君島一郎

▽10年
東尾修☆、江藤慎一★、古田昌幸

▽11年
落合博満☆、皆川睦雄★

▽12年
北別府学☆、津田恒実☆、長船騏郎、大本修

▽13年
大野豊☆、外木場義郎★、福嶋一雄

▽14年
野茂英雄☆、秋山幸二☆、佐々木主浩☆、相田暢一

▽15年
古田敦也☆、林和男、村山龍平

▽16年
斎藤雅樹☆、工藤公康☆、榎本喜八★、松本瀧蔵、山中正竹

▽17年
伊東勤☆、星野仙一★、平松政次★、郷司裕、鈴木美嶺

▽18年
松井秀喜☆、金本知憲☆、原辰徳★、瀧正男

【注】☆はプレーヤー表彰、★はエキスパート表彰、ほかは特別表彰

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