今年も私の野球殿堂投票を公表します

スポーツ報知
野球殿堂入りした3人の記念はがき(左から立浪氏、権堂氏、脇村氏)

 野球殿堂博物館から今年の野球殿堂入り関係者が発表された。プレーヤー部門は通算487二塁打のNPB記録保持者で通算2480安打も歴代8位の立浪和義、エキスパート部門は1961年新人投手として69試合に登板し35勝をマーク。「権藤、権藤、雨、権藤」とのフレーズが当時の登板過多を物語って後世にも語り継がれている。しかし、その経験を生かして、その後名指導者として日本プロ野球界に貢献した権藤博が選出された。

 昨年のプレーヤー部門の松井秀喜、金本知憲、エキスパート部門の原辰徳(特別表彰は瀧正男)の派手な表彰式だったことを考えれば、やや地味な感はあるが、主軸とは言えなかったものの、長い間安打を刻み続けていた立浪は春夏連覇を記録したPL学園の中村順司元監督がゲストとして参加。中村元監督も言っていたが、昨年亡くなってなかったら中日の監督だった星野仙一がゲスト出演したはずだ。

 立浪は昨季は34票不足だったが、5度目のチャレンジとなった今年は当選に必要な279票を8票上回った。1988年の中日のリーグ優勝にはPL学園から入団した新人・立浪の存在が大きかったのを思い出す。遊撃、二塁、三塁と3ポジションでゴールデン・グラブ賞を受賞する一方で、シュアな打撃で通算487二塁打のNPB記録を樹立した息の長い選手だった。

 一方、権藤博は2007年の競技者表彰部門で220票を獲得しながら9票足らずに終わり、資格を失ってエキスパート部門に回っていた。今回、11度目のチャレンジで念願叶った。

 2014年から私はエキスパートの投票権を保持するようになってから、毎年「権藤博」の名前を書き続けていただけにほっとしたのが一番の感想だ。

 権藤の場合はプロ入り1年目の1961年の、2リーグ制後最多となる429回1/3が示すように酷使がたたって現役選手生活は短かった。

 中でも巨人との優勝争いが激烈になった8月は、先発9試合(うち8度完投)、リリーフ5試合で計99イニングを投げ込み8勝3敗だったが、この影響で9月以降は7勝6敗に終わったのが悔やまれる。その反省からか、指導者になってからは登板間隔などに関し、投手に負担をかけないことをモットーに、中日、近鉄、ダイエー、横浜などで、それぞれ結果を出し、横浜の監督となった1998年には、チームを38年ぶりの日本一に導いた。

 

 今回も私が書き込んだのはプレーヤー表彰は、立浪のほか 高津臣吾、T・ローズ、石井琢朗、城島健司、前田智徳、A・ラミレス。

 エキスパート表彰は権藤のほか 田淵幸一、柴田勲、足立光宏、松岡弘。

 足立、松岡の票が伸びなかったのが納得できなかった。

 特別表彰は第5代高野連会長の脇村春夫。最初に候補になったのは2011年だから9年目の大願成就だった。湘南高では佐々木信也らとともに甲子園優勝、東大では主将として六大学で、東洋紡では都市対抗にも出場と、選手として野球の王道を歩みながら、高野連会長になってからは特待生問題やプロアマ雪解けにも尽力した人物。野球の歴史にも精通しており、私も入会している野球文化學會の「ベースボーロジー」にロビンスのオーナーでもある田村駒次郎について文章も投稿している。この日が87歳の誕生日、今回を機に特別表彰委員になって欲しい人物だ。

 その他の候補者の得票は日本代表監督を務めた川島勝司6票、プロ野球審判・岡田功、漫画家の水島新司各5票、早大の選手、監督だった石井連蔵、慶大監督の前田祐吉各3票、プロ野球審判の谷村友一、駒大監督の太田誠各2票、嘉義農林監督の近藤兵太郎、プロ審判だった富澤宏哉各1票。朝日新聞が紙面で取りあげていた古関裕而は候補に挙がっていなかった。(敬称略)=蛭間豊章・ベースボールアナリスト= 

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