千昌夫の宝物、遠藤実さんが5分で作った名曲「北国の春」

スポーツ報知
70代に入っても若々しい千昌夫(カメラ・能登谷 博明)

 日本の名曲の魅力に迫る「にHo!んの歌」。今回は千昌夫(71)の大ヒット曲「北国の春」(作詞・いではく、作曲・遠藤実)。デビュー12年目の1977年に発売し、200万枚超えのヒットを記録、NHK紅白歌合戦では計6回歌った名曲。日本人の郷愁を誘う美しいメロディーは、実は師匠の作曲家・遠藤実さんが「ものの5分で」作りあげたという。千が同曲へ抱き続ける思いとは―。

 白樺~青空 南風―。力強く優しい千の歌声が魅力の「北国の春」は77年冬、師匠の作曲家・遠藤実さん(08年死去、享年76)の自宅で誕生した。

 「荻窪の遠藤先生の家にお邪魔して、いで先生の詞はできてたけど曲はまだ作ってないと。『2階で作ってくるから待ってて』と言われて、ものの5分ほどで戻ってきて『できたぞ』と。そんなに簡単に?と思いましたね。もともとできてた曲を止まらずに弾いたかのようにバーッと譜面に書いてきたんです。すごいですよ!」

 当初はB面の予定だったが、あまりの曲の良さに千は直訴した。

 「もともとは『東京のどこかで』がA面でしたが、レッスンの時に『先生、こっち(北国)がA面ですよね』と。『俺が作る曲はどっちもA面だ』と言ってましたけどね(笑い)。(「北国―」は)メロディーは覚えやすくて、5分くらいですんなり頭に入った。曲ができた瞬間からスタッフも全員手応えがあって、満場一致でA面になったんです」

 約2週間後、レコーディングに臨んだ。

 「曲の誕生からアレンジまで全ていい流れで受け継がれて、5~6回歌って終わりました。歌い方にテクニックはないし、先生に指導を受けた記憶もない。詞もメロディーも素晴らしいので、僕の持ってる地声とうまく合わさったんです」

 都会で暮らす男性が実家から届いた小包で古里を思い出す曲。高2で岩手から上京した自身と重なった。

 「僕にピッタリの曲です。お袋は『東京じゃ季節が分からないでしょ』と、いろいろ送ってくれた。いで先生は古里の長野を思い浮かべて、小包は山菜が入ってるイメージをされたそう。僕も山菜や米かな。実際、僕は東京に行く時に米を1~2升背負ってきたんです。歌を聴いて情景が浮かぶのがヒットにつながった」

 ステージでは、よれよれコートに帽子、トランクを持つ奇抜な風貌で歌った。

 「子供の頃、田舎のおじさんが買い物に行く時の正装で、曲を聴いた瞬間に思い浮かんだんです。すぐ小道具屋で10万円弱くらいで買って、着て歌ったんです。先生から『こんな格好しないで自信を持って歌え』と反対されたけど、『今は目からも訴えなきゃいけないんです』と押し切ってやったら、千ちゃんルックがえらいウケちゃった。テレビ番組でも毎回『あの扮装(ふんそう)忘れないで』と人気でした」

 77年4月に発売し、オリコンで100位圏内初登場から通算92週でミリオン達成。約3年かけて200万枚超え(レコード会社調べ)を記録した。

 「3か月に1枚、新曲を作ってたのでレコード会社に『次の新曲に切り替えを』と言われたけど、僕は『こんなもんで終わる歌じゃない』と。録音したら新曲として発売されちゃうから、新曲レコーディングの当日に頭が痛い、腹が痛いとかウソをついて15回くらい休んだんです(笑い)。そうこうしてるうちに『北国―』はバーンと売れに売れた。自分にしか分からない信念があったんです」

 美空ひばりさんら多くの歌手がカバー。中国やタイなどアジアでも各国の言語で歌われ、40年以上たった今でも愛されている。

 「ひばりさんには、えらいかわいがってもらって『北国の春、いい歌もらったわね。大好きだわ』と言ってくれた。遠藤先生が書いた古里の土臭い匂いを持ったメロディーが日本やアジアの人たちの心に染み渡ったんでしょう。いろんな国の言葉で詞を変えて歌ってくれて、この曲はメロディーが先行した歌なんです」

 紅白歌合戦では計6回披露。22年ぶりに出場した2011年は、東日本大震災復興を掲げて歌った。

 「津波の災害に遭われた方々への思いを込めて歌いました。被災地を回ると必ずこの歌を歌ってと、何回歌ったか分からない。『北国―』を聴いて、震災でなくなってしまった古里を思い出してくれたんだと思う。震災から7年。これからも歌い続けて、少しでも元気を与えていきたい」

 聴く人すべてが古里に帰りたくなる名曲となった。

 「遠藤先生が僕に残してくれた宝物です。まだまだ命尽きるまで歌い続けますよ。北島三郎さん、加山雄三さんも81歳と先輩方が道を築いてくれてる。10歳下の僕たちもまだまだ頑張っていかなきゃいけないね」

 「北国―」は近年、全国の介護施設で「北国の春体操」として高齢者に親しまれている。曲に合わせて腕を上げたり体を揺らす運動で、千は「お年寄りの人がえらい盛り上がってる。うれしいね」。自身は今月8日で71歳を迎えたが、自慢の体力は健在。日々トレーニングに励んでおり、「毎日ウォーキング、楽屋でエア縄跳び500~600回、腕立て伏せ20回5セット。まだまだ元気に歌いますよ」と力を込めた。現在は新曲を制作中で、今年も約100ステージのコンサートを精力的に行っていく。

 【1977年の世相】

 ▼青酸コーラ事件発生▼大学入試センターが発足▼キャンディーズがコンサートで解散宣言(解散は78年)▼王貞治氏が本塁打世界記録の756号を達成、初の国民栄誉賞を受賞▼日本赤軍が日航機をダッカでハイジャック▼日本レコード大賞は沢田研二「勝手にしやがれ」▼NHK紅白歌合戦のトリは紅組・八代亜紀「おんな港町」、白組・五木ひろし「灯りが欲しい」

 ◆千 昌夫(せん・まさお)本名・阿部健太郎。1947年4月8日、岩手・陸前高田市生まれ。71歳。65年に高2で上京し、遠藤実氏に弟子入り。同年9月「君が好き」で歌手デビュー。66年「星影のワルツ」が大ヒット。68年NHK紅白歌合戦に初出場(通算16回)。77年「北国の春」がミリオンを記録。「津軽平野」「望郷酒場」などヒット曲多数。72年ジャズ歌手のジョーン・シェパードと結婚、88年に離婚。92年モデルのアマンダ・スタナードと結婚、2男2女がいる。

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