「のみとり侍」18日公開!鶴橋康夫監督インタ「これが遺作になってもオッケー」

スポーツ報知
「遺作でもいい」と自信作の出来上がりに興奮する、鶴橋康夫監督(カメラ・中島 傑)

 「愛の流刑地」「後妻業の女」などで知られる鶴橋康夫監督(78)の最新作「のみとり侍」が18日に公開される。62年に読売テレビ入社後、長くドラマ演出を手掛け「映画なら黒澤組、テレビなら鶴橋組」とも言われた名匠が約40年間、映像化を熱望した時代劇コメディー。「これが遺作になっても大オッケー」と豪快に笑った。

 原作は歴史小説の第一人者・小松重男氏の短編小説集「蚤(のみ)とり侍」。その中の人気エピソードを基に鶴橋監督自身が物語を再構築し、脚本も手掛けた。表向きは猫ののみとり、実際は女性に愛を奉仕する“添い寝業”の仕事に就くよう命じられた生真面目なエリート藩士の奮闘ぶりをユーモアたっぷりに描く。テレビ局の社員時代から映像化を提案し続け、映画監督4作目でついに実現した。

 「三十何年間、次の作品はこれって言い続けてたんだけど、実は絶対にできないと思ってたの。ファ○クの仕方を教えてもらう男の話で、おち○ちんにうどん粉をまぶしたりするんでね。日本の隠れた文化や、すきま産業を紹介する映画をやれる時代が来てほしいとは思ってたけど、いざ実現すると罪悪感が湧いてきて。平身低頭しながら撮った気がします。台本も29稿まで直しましたから」

 映画化が決まると、中央大の後輩でもある阿部寛(53)を「君の裸はいい、君しかいない」と口説き落とし、「僕の知恵袋」と絶大の信頼を置く豊川悦司(56)、「僕の思い人」と愛する寺島しのぶ(45)、30年前から映画化された時の役柄を決めていたという風間杜夫(69)、大竹しのぶ(60)と鶴橋組の常連に声をかけた。さらに、選考委員を務めた向田邦子賞で初対面した前田敦子(26)には「あっちゃん、脱げるかい?」と出演を直談判。映画監督としても活躍する斎藤工(36)も「映画の未来を託したい」と直接交渉し、豪華キャストをそろえた。

 「本当に素晴らしい人たちが集まりました。阿部ちゃんと豊川さんのジャムセッションのようなやりとりを撮りたかったけど、どっちも俺を助けようと思って頑張ってくれた。作品の内容もですが、人間は一人では生きられない、いろんな人に支えられてるんだと実感しました。編集中、俺は本当に正しいことをしていたんだろうかと、罪の意識をいっぱい感じたんですが、それに勝る感謝の気持ちが湧いていましたね。R―15のコメディーで、これが遺作になったら困るって誰かが言ったけど、遺作になっても大オッケーですよ」

 一昨年の「後妻業の女」がヒットし、映画監督としても地位を確立しているが「僕自身は映画監督とは思ってないです。予告編の人が本編を撮っているようなもの。映画の人たちに対する敬愛があるんです」と謙遜する。映画に対するこだわりが人一倍強いからだ。

 「僕は、帰ったら自分の家で見られるような映画は撮らない。『のみとり侍』も、『後妻業の女』もそうですが、現実をはるかに超えたことを撮る。それが映画だと思ってます」

 「遺作でもいい」と口にする一方、「まだ企画は何本もある。今、次の作品を作っていいって言われたら、明日にでも出せます」とまだまだ意気盛ん。先日、米大リーグ・マリナーズの会長付特別補佐に就任したイチロー外野手(44)の言葉に自らをなぞらえた。

 「イチローさんがああいう立場になって、野球を研究すると言い始めたけど、俺もテレビ局にいた時代の先輩演出家がみんな亡くなって、サンプルがないんです。だから自分で自分を研究するしかない。自分で考えて、実験していきます。周囲の人には作品がダメだと思ったら、遠慮なく『辞めた方がいい』と言ってほしいですね」

 阿部寛に聞く
 「鶴橋監督とは30年前、僕が事務所に入って2日目にお会いしてるんですが、すごいところはその時から多くの役者から信頼されていて、監督のために役に立ちたいと皆に思わせるところです。現場では『なんか文句あるか』が口癖で、スタッフ、キャストの誰ひとり気後れしないように、朝から一人一人に声をかけて、監督自らムードを作ってくれます。その上で破天荒な作品づくりをなさるんですから、すごい人です」

 ◆のみとり侍あらすじ
 長岡藩士・小林寛之進(阿部)は、運悪く藩主の機嫌を損ねてしまい、猫の「のみとり」の仕事に就くよう命じられる。それは猫ののみを取って日銭を稼ぐ仕事だが、実際は床で女性に愛をお届けする裏稼業。寛之進は、初めてののみとり相手である、おみね(寺島しのぶ)から下手くそとののしられたものの、伊達男・清兵衛(豊川悦司)の指南によって腕を磨いていく。

 ◆鶴橋 康夫(つるはし・やすお)
1940年1月15日、新潟県生まれ。78歳。62年に読売テレビに入社し多くのテレビドラマを手掛け、現在はフリーで活躍。81年に「五辨の椿」「かげろうの死」で芸術選奨文部大臣新人賞、2004年に「砦なき者」で同文部科学大臣賞を受賞。07年に紫綬褒章、13年に旭日小綬章を受章。

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