市村正親、浅利慶太さんからもらった金言「他人の時計はのぞかない」

スポーツ報知
浅利慶太さんとの思い出を話す市村正親

 劇団四季の創立メンバーの一人で演出家の浅利慶太さんが7月13日午後5時33分、悪性リンパ腫で都内の病院で亡くなったことが18日、分かった。85歳だった。かつて劇団四季に所属していた俳優の市村正親(69)が同日、都内で会見を開き、「日本のミュージカル界を引っ張っていったのは浅利さんの力が大きい。偉大な人でした」としのんだ。

 市村は73年、浅利さんオリジナル演出の舞台「イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)=スーパースター」で初舞台を踏み、その後、90年まで劇団四季で活動。浅利さんについて「とにかくダンディーで笑顔がステキ。演出家の演技なんだけど、こっちに伝わってくる」と懐かしんだ。そして「『他人の時計はのぞかない』と教わった。『人は人の時計がある。人の時計をのぞくと、なんで俺はこの役なんだと比較しちゃう』という意味です。これは僕は後輩に言ってます」。厳しくも温かい言葉をたくさんかけられた。

 劇団四季時代の市村は当時看板俳優だった鹿賀丈史(67)とともに劇団を牽引(けんいん)。浅利さんは当時の二人を「鹿賀がステーキならば、市村はクレソン」と例えたという。「クレソンといえば肉のとなりになくてはならないものだけど、後で俺は葉っぱか…って」と市村。「きっと丈史が太陽で僕が月。僕は月的な演技だから、お客さんから『僕の背中を見たらぐっとくる。どうしてそんなに悲しいんですか』って聞かれる。自分では分からないけど、そういうのを持っているのかな」。さらに「でも、今はミニステーキくらいになったかな」とおどけた。

 最後に会ったのは2年前。一人舞台「市村座」の稽古中に23~24年ぶりに再会し、15分間話したと明かし、「『今、何しているんだ?』『お前の芝居がみたいな』って話しをした。元気だからいいやって思ってたけど、その後、風のうわさで食が細くなったと聞き、心配していた」。

 市村はこの日、ミュージカル「モーツァルト!」の大阪公演の千秋楽を終えた後、浅利さんの訃報を聞いたという。そして19日から「NINAGAWAマクベス」(21日~25日)のニューヨーク公演に向け、旅立つ予定だったため、「浅利さんから『ニューヨークでやるならしっかりやれよ』って言われている気がする」としみじみ。最後に恩師へ「浅利さんのおかげで僕は俳優という仕事をしっかりやらせてもらっている。教えをこれからも守り、残してくれた言葉を後輩たちにつなげていきます」と誓った。

芸能

×