初監督作「私は貝になりたい」で黒澤監督“指摘”「貝になれねえ」…橋本忍さん評伝

スポーツ報知
映画「生きる」の一場面(C)東宝

 故・黒澤明監督の「羅生門」「七人の侍」などの名作を手掛け、日本映画界を代表する脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)さんが19日午前9時26分、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。100歳だった。

 代表作となる黒澤明監督作品「羅生門」(1950年)に取り掛かる前、師匠の伊丹万作監督から「原作物に手をつける場合、どんな心構えが必要と思うかね」と問われた橋本さんは言った。「(柵の中に)牛が一頭いるんです。私はこれを毎日見に行く。雨の日も風の日も…。それで急所が分かると鈍器のようなもので一撃で殺してしまうんです」。そして、血をバケツに受けて持ち帰る。「原作の姿や形はどうでもいい。欲しいのは生き血だけなんです」。牛は原作、血は作品の神髄を指す。

 名手たりえた背景には、やはり巨匠の存在があった。59年、オリジナル脚本を書き、自ら監督を務めた映画「私は貝になりたい」は大ヒットを飛ばし、高評価を得た。ところが、黒澤監督からは「橋本よ…。これじゃ貝にはなれねえんじゃないかな」と指摘された。後年、海の描写が足りなかったと気づかされた。

 半世紀後の2008年に「私は―」は中居正広主演映画としてリメイクされた。過去の脚本を改稿しない主義を覆し、海のシーンを丁寧に描いた。共に歩んだ巨匠の助言を反映し、昔日の夢を具現化した。

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