EXILE TETSUYA 大学客員教授、早大大学院で修士論文、コーヒー・マイスターの資格も

2018年7月28日14時0分  スポーツ報知
  • 多彩な顔を持つEXILE TETSUYA(カメラ・頓所 美代子)
  • EXILE TETSUYA

 人気ダンス&ボーカルグループ・EXILEの新アルバム「STAR OF WISH」が25日に発売された。9月15日の京セラドーム大阪からドームツアーがスタートするが、パフォーマーのEXILE TETSUYA(37)は「オールスターチームのすごさを見せたい」と目を輝かせた。東日本大震災を契機にダンス教育に目を向けて淑徳大客員教授に就任し、今年3月に早大大学院社会人修士課程を卒業。「人生で初めて勉強が楽しいと感じた」と笑った。地道に努力を続ける中で今の地位を築いたが、そこには常に“見ていてくれた人”の存在があった。

 5月24日のEXILE THE SECONDの全国ツアー最終公演にEXILEメンバー15人がサプライズ登場した。歓声や悲鳴が上がる異様な盛り上がりの中、ボーカルのATSUSHI(38)が「(休養中に)僕らの思いをつないでくれたのはセカンドです」と涙を浮かべ、感謝する場面があった。

 「セカンドはEXILEが7人から14人に増えた時に加入したり、HIROさんの勇退があったりとか。NAOTOとNAOKIが三代目やっていますが、僕ら5人は激動の流れの中で同じ風景を見て生きてきました。そこにAKIRAが入ったことで、セカンドはEXILEの血の濃さがさらに上がった気がします。そのあたりを先輩や同期のメンバー、後輩らも感じてくれているからこそATSUSHIクンのあの言葉になったのかなと思います」

 ―EXILEとしては3年ぶりのステージとなる。

 「この3年間で『オールスターチームになって帰ってこよう』みたいなテーマがあって、リハに行くとスーパースターが集まっていてEXILEはすごいと実感しました。今はステージに登場した瞬間、これまで聞いたことがない歓喜に包まれ『僕ら踊らなくてもいける』といった初日を想像してリハしてます(笑い)」

 セカンドを兼任しているが、互いの“色”の違いを感じながらも魂は常にEXILEにあるという。

 「自分は全てEXILEの看板を背負いながらいる感じです。ただ、見せ方に違いは出ますよね。EXILEは子供からお年寄りまで間口が広いので楽しいステージを意識するし、セカンドはSHOKICHIの楽曲制作の才能を生かして大人っぽさやセクシーが“売り”で、よりチャレンジする感じが強いです。これもEXILEという帰る場所があるからできるワケで、僕にとっては一番守らなきゃいけないところ。そこが休養に入るのは大きなことで、この期間で自分に足りないモノを補い能力を上げようと必死でした。EXILEの名前におぼれていると簡単に押しつぶされますからね」

 個人として大きな挑戦は早大大学院入学だった。ダンスをスポーツと捉えて立ち上げた「E.P.I.(EXILEパフォーマンス研究所)」活動の総仕上げの意味合いが強かったという。

 「11年に『E.P.I.』を始めて頭のどこかに“大学”というのはぼんやりありましたが、スケジュールがね…。あきらめかけた時期に淑徳大から(人文学部表現学科の客員教授の)お話をいただき『教えるのもアリだな』と。今年で5年になりますが、もっと自分の言葉に説得力を持たして教えたくなりました。授業でダンスをすれば生徒も喜びますが、ずっと踊ることもできない。修士とか肩書があれば聴く人も増えるかなと思った時、早稲田の平田竹男教授と出会い、『入学させていただけたら、ダンスの勉強をしたい』『じゃあ、ウチのゼミで勉強して修士論文書く?』という流れでした。今までやってきた集大成と感じていました」

 今やダンス伝道者として教育に取り組んでいるが、契機となったのは2011年の東日本大震災だった。

 「震災後にUSAさんと運動ができていない子供たちと一緒にダンスをするイベントで現場に伺いました。僕を知らないおばあちゃんもいましたが、みんな僕らの写真やサインにすごく喜んでくれて『うん、頑張るね』と返された時に『EXILEって何なんだろう』と考えさせられました。もっと人々を喜ばせたいから、未来までEXILEを輝かせる必要があると考えるようになって、自分一人じゃ無理だから、みんなで役割分担すればいいとか…。いろんな妄想が広がってきて、次第に目がダンス教育に向くようになりました。あの出来事が重かったです」

 教育者の顔を持つ一方、コーヒーに魅せられてマイスターの資格を取得。専門店を出すまでになっている。

 「好きになって以来、コーヒーを入れるのは1日も欠かしてません。朝入れてボトルに持ってメンバーやスタッフに配ってね。ずっと好きでやっていたんですが、この積み重ねを見ている人がいるんですよ。そう、HIROさんがね、『差し入れコーヒーやればいいじゃん』と事務所に場所を提供してくれました。マネジャーさんと板や脚を買って、いい感じに色塗ってスタンド作りました。一歩進めてコーヒー専用車も作ったりしていると、今度は『もし良かったらコーヒー屋やってみない』と。僕が1杯目を入れてから店になるまで5年です。『好きなことを5年間、毎日続けたら絶対、形になる』と実感しました。いつか自分のコーヒー農園持ってみたい。夢です」

 ダンスを始めたのは社会人になってから。それまで熱中していたサーフィンやスケボーをやめたのは、彼なりの理由があった。

 「学生時代はスケボーとかやっていて楽しいんだけど、ずっと『これじゃ食えない』と思っていました。やるなら一生好きなことで食えるのがいいじゃないですか。そのとき一番食えるのは大工で、もともとなりたかったから親父(おやじ)の会社で働きました。でもMISIAさんのバックダンサーをやった先輩と出会って踊りを見たら『バチン』ときました。19歳の時です。それから『この人、どうやって食ってんだろう』と生活を観察し始めると、バイトしながらレッスンしてツアー回って収入を得ていました。自分に置き換えて考えたら道が見えて『こうしたら食べていけますか』と相談したら、先輩は『合ってるね』と。で、次の日に親父に『仕事やめます』って。バカですよね。両親は反対しなかったけど心配だったでしょう。今はすごく喜んでくれて地元にコーヒー店を出したときは2人からお祝いの花が来てました(笑い)」

 ―ダンスですぐに生活できるようになった。

 「いや順調ではなかったです。僕は飛び級より段階を踏むのが好きで、横須賀で有名になってから横浜に出ることを決めてました。これはクリアしたんですが、横浜に出ると東京のダンサーもいてレベルが高い。そこで(黒木)啓司やAKIRAとも出会いました。東京に行くとまた全国から集まってとんでもないレベル。街もきらびやかで自分がものすごく田舎者に感じました。初めて渋谷の『ハーレム』に行った時、イベントの大トリがJ Soul Brothers。黒スーツ着て『Fly Away』踊ってました。みんなにリスペクトされて衝撃的にカッコよかったな~。(04年に)AKIRAの誘いでEXILEの舞台に出演したときに『EXILEみたいになりたい』と明確に思うようになりました」

 だが簡単に事は運ばない。雌伏の日々が続き、夢をあきらめようとした時期も…。

 「デビュー前は毎日(橘)ケンチと啓司と一緒にいました。『この世界は甘くない』と思い知らされた件もあって、実家に戻って仕事をしようと思ったこともありました。みんなネガティブで『デビューできない』と悩んでいた時、手を差し伸べてくれたのはUSAさんでした。お父さんが経営している居酒屋で『バイトしない?』と誘っていただきました。2人は働いたけど僕は葛藤の末に蹴りました。居酒屋でバイトするために東京に来たワケじゃない―。EXPG(養成所)のお偉いさんに直電して『給料いらないんでインストラクターにならせてください』と。ダメならマジで帰ってやろうと思ってなりふり構わず何でもやろうって。最後のひと踏ん張りで採用されましたが給料は微々たるもの。借金したり親にお米を送ってもらってしのいでました」

 夢をあきらめず手を抜かないで奮闘する姿を見ている人がいた。最後のひと絞りが未来の扉を開いた。

 「EXPG発表会のときです。僕は生徒に振りを付けて踊らせて、それが終わった後にAKIRAらと立ち上げた『RAG POUND』で出演もしていました。3日ぐらい寝ずに本番を乗り切って『やっと寝られる』とAKIRAと電車で帰ろうとしたとき、HIROさんから『焼き鳥屋にいるからおいでよ』と。そして『JSB復活させようと思うんだけど、NESMITHがボーカルに決まっていて、パフォーマーが一人も決まっていないんだけど良かったらやらない?』『まったくノーはないです』。最後のひと絞り、絞ったかいがあったと思うとグッときました。その時からです。『見ててくれる人は見てくれている』と思ったのは。とにかく信念を持って一生懸命やれば誰かが見ています」

 思い込んだら一途(いちず)に打ち込む。努力できるのは最大の才能。彼はこれからも周囲を巻き込んで大きな“仕事”をしていくだろう。(ペン・国分 敦)

 ◆三代目へのライバル心「ない」

 ―三代目JSBに対してライバル心はあるのか。

 「まったくない。僕らが新生JSBからEXILE入ったときにもいろいろ書かれましたが、ファンの方がライブで14人の姿を喜んでくれて、そういう一つひとつの積み重ねとストーリーが三代目が生まれるきっかけにもなったでしょう。三代目は成し遂げるべきものの大きさのプレッシャーを感じていたんじゃないかな。レコード大賞も取ってドームツアーもするようになって、HIROさん含め先輩の僕らがやってきたことが全部肯定されたと思います。今後はジェネもランペ、ファンタらも輝いていく。もし輝かなかったら三代目が悪いんじゃないですか(笑い)。みんなが受け継いでいく気持ちがあれば絶対に輝きます。きっと」

 ◆早大大学院修士論文はダンスがテーマ

 「必修化以降の中学校における現代的リズムのダンス授業の現状と処方箋」のテーマで取り組んだ修士論文は、優秀論文賞を受賞している。

 「論文はきつかったです。僕の頭の中にあったことを紙におこしただけなんですが、パソコンの使い方や論文の作法だったりとかがね…。グラフの整理とかエクセルおこしも学生に教えてもらったり、いい経験でしたが、当分はやりたくないです(笑い)。ただ、大学院に行くことや講義を受けたりゼミに参加するのは新鮮で行きたくてしょうがなかった。『勉強楽しい』って人生で初めてでした。今までは勉強できないからダンスやってたんでね」

 ◆五輪正式種目に

 夢がある。ダンスを五輪・パラリンピックの正式競技にすることだ。

 「僕はダンス=スポーツと思っていて、スポーツをひもといていくと最高の祭典はオリンピック・パラリンピックになる。じゃあ、僕らがやっているダンスが正式種目になることはこの未来にはあり得ないことではないかもしれないと思うと、いろんな仮定や妄想もしました。僕が現役じゃなくおじいちゃんになってから、死んでからでもいいから、そんな未来があっても幸せだよなって。ちょっとでも尽力できたら幸せです。小さな力ですが、できることを一個ずつ形にしていきたいですね」

 ◆豆とメンバーをダブらせちゃう

 ―コーヒーで好きなブレンドは。

 「シングルで好きなのはエチオピアの豆だったり、パナマやグアテマラだったりとかあるんですが、ブレンドとなると何かにはたけているけど何かに劣ってたりするんですね。たとえば、すごく華やかなTAKAHIROみたいな豆とかATSUSHIクンみたいに歌がうまいとか、岩(田剛典)ちゃんみたいに超スター性があるとか。豆をEXILEとダブらせちゃいます。僕はブラジルのように特化はしていないんだけど、なんとなくバランスが取れていて一番シェアさせていたりしているとかね」

 ◆EXILE TETSUYA(えぐざいる・てつや)本名・土田哲也。1981年2月18日、神奈川県横須賀市出身。37歳。19歳からダンスを始め、2007年に二代目J Soul Brothersのメンバーになり09年にEXILEに加入。現在EXILE THE SECONDとしても活躍。13年からNHK Eテレ「Eダンスアカデミー」の講師としてUSAとともに出演している。14年に淑徳大人文学部表現学科の客員教授、16年には美作大の客員准教授に就任。18年に早大大学院スポーツ科学研究科を卒業。13年にコーヒーマイスターの資格を取得し、15年に「AMAZING COFFEE」1号店を中目黒にオープン。身長175センチ、体重65キロ。血液型O。

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