「ちびまる子ちゃん」原作者・さくらももこさん、死去 乳がんのため53歳で…

スポーツ報知
「ちびまる子ちゃん」第1巻表紙(C)さくらプロダクション

 フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」(日曜・後6時)の原作者として知られる、漫画家のさくらももこさん(本名非公表)が15日午後8時29分、乳がんのために死去していたことが27日、分かった。53歳だった。この日、公式ブログなどで発表された。通夜・告別式は、遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われた。さくらさんは闘病を公表せず、現在も青年誌「グランドジャンプ」で「ちびしかくちゃん」を連載中だった。「国民的漫画家」の突然の訃報に、衝撃が走った。

 ほのぼのとした絵柄でありながら、それに似合わない皮肉タップリのせりふやギャグを織り交ぜた内容で、「サザエさん」と並んで“日曜日の人気アニメ”として幅広い世代に愛されていた「ちびまる子ちゃん」を生み出したさくらさんが、ひっそりとこの世を去っていた。この日の午後7時30分、さくらさんが死去していたことが自身のブログで発表された。闘病生活を送っていたことを公表していなかったさくらさん。突然の悲報に、公式ブログには哀悼のコメントがあふれた。テレビはニュース速報を打ち、午後9時のNHK「ニュースウオッチ9」はトップで伝えた。「ちびまる子ちゃん」が放送されている中国や台湾でも報じられるなど、大きな衝撃を与えた。

 さくらさんは、公式ブログを月に1~2回というペースながら、コンスタントに更新していた。だが、サッカーW杯について書いた7月2日を最後に、更新はストップ。久々の連載作品で、「ちびまる子ちゃん」のセルフパロディー作「ちびしかくちゃん」も休載していた。作家の吉本ばななさんら、親しい友人らには闘病を明かしていた。

 1984年にデビューしたさくらさんを人気漫画家に押し上げたのは、自らの“分身”が主人公の「ちびまる子ちゃん」だった。「ちびまる子」という名前は、さくらさんが子供の頃に母親に呼ばれていた通称。60年代後半から70年代の静岡県清水市(現在の静岡市清水区)を舞台に、小学3年の主人公・ももこが、家族や友人たちと繰り広げる物語は、ほとんどが経験に基づいた自身の姿だった。さくらさん自身は、結婚し94年に長男を出産した。

 「りぼん」の86年8月号から連載が始まった「ちびまる子ちゃん」は、シリーズ累計3200万部で同誌の最高部数となった。

 90年からはテレビアニメの放送がスタート。ももこがボソッとつぶやく核心を突いたせりふやキートン山田のナレーション、落ち込んだ時に顔に縦線が入る表現などは、性別、世代を問わずに大ウケ。視聴率は毎週高い数字をマークした。同年10月28日放送分の39・9%は、現在の調査方法となった77年9月26日以降で、アニメ番組の史上最高となっている(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

 フジテレビによると、9月2日の番組は通常通り放送。追悼テロップや内容の差し替えなどの対応については検討中で「これからも、さくら先生が天国で見守って下さることを感じながら、面白い『ちびまる子ちゃん』を制作していきたい」とコメントし、今後も番組を継続していくと明かした。

 ◆さくら ももこ 1965年5月8日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。本名非公表。84年、静岡英和女学院短期大学在学中に「教えてやるんだありがたく思え!」でデビュー。86年から「りぼん」(集英社)に「ちびまる子ちゃん」を連載、90年にテレビアニメ化され、国民的人気を博した。エッセー集に「もものかんづめ」「まる子だった」など。

 ★まる子

 ▼生まれ さくらさんと同じ1965年5月8日。静岡・清水入江小の3年4組

 ▼ニックネーム ちびのため、ちびまる。「子」をつけてちびまる子に。本名はももこ

 ▼性格 ちょっと、なまけもの。好奇心旺盛。めんどくさがりやで、調子のいいところも

 ▼好きな食べ物 プリン、ハンバーグ

 ▼嫌いな食べ物 トマトと納豆

 ▼口癖 「あたしゃ○○」

 ▼趣味 絵を描くこと。動物や植物好き

 ▼ファン 山口百恵と山本リンダ

 ◆乳がん 国内の女性が最もなりやすいがん。国立がん研究センターによると、女性乳がん患者は推計7万2500例で女性のがん患者の約20%。13年の乳がん死亡数は女性約1万3000人で、女性ではがん死亡全体の約9%。30歳代から増加し、40代後半から50代前半がピークとなる。検診での早期発見と治療が有効。

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