日本最古の劇場・南座、生まれ変わって11・1新たな幕開け…耐震工事終了

スポーツ報知
美しい南座。屋根には劇場を象徴する櫓(やぐら)。そばに鴨川、遠くに京都タワーを望む

 歌舞伎の祖「出雲の阿国」が踊った京都・四条河原そばにある南座は、400年の歴史を持つ日本最古の劇場だ。2年9か月に及ぶ大規模な耐震補強工事を終え、11月1日に新開場する。最終仕上げ中の場内に入り、どのように変わったのか見学するとともに、同劇場で初舞台を踏み「ここは私のホームグラウンド」と南座愛を語る歌舞伎俳優・片岡秀太郎(77)にこの劇場ならではの魅力を聞いた。

 国の登録有形文化財にも指定(1996年)されている南座。京都生まれの記者も、破風造りの名建築に近づくだけでなぜか気持ちが落ち着く。明治、大正、昭和、平成、来年新しい元号を刻むが、長い年月、風雪に耐えた威風堂々のたたずまいがそうさせるのだろうか。

 まだ顔見世興行のまねきが上がっていないので正面玄関は少し寂しいが、さっそく中へ。客席、じゅうたんも新調され全く新しい劇場のよう。「補強しました」的な痕跡はない。日本最古の劇場を守るため、最新技術が用いられた。施工の大林組が独自の方法でつくった約200か所の鉄筋コンクリートの耐震補強壁、屋根瓦の軽量化…劇場全体が見えないよろいをまとった格好だ。

 3年近く工事がかかったのは、どうすれば観客の目に触れないような補強ができるかに頭を悩ませたから。建物全体をデジタル記録で残し、さらに“スケルトン化”で空間検証を重ね、補強する鉄骨を納める場所の確認が続いた。建て直す方がはるかに簡単、と指摘する専門家も少なくない。

 歌舞伎俳優の中でも南座とゆかりが深いのが秀太郎。いまも実家は京都にあり、大阪で暮らす。5歳のとき、ここで初舞台を踏んだ。72年の俳優歴。「その時のお客さんの反応は今も覚えてます。劇場内を動きまわって劇場に、歌舞伎になじんでいった。女形として大きな役を演じたのも南座。自分のホームグラウンドだと思ってやってきました」

 南座ならではの魅力として「芝居小屋らしい温かみが残り、立地的に花柳界のお客さんが多く舞台だけでなく客席まで華やかになるのも特徴でしょうね」。吉例顔見世興行中の「総見」はおなじみ。芸事の上達につなげるのを目的に、五花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町)の芸妓(げいこ)、舞妓(まいこ)が桟敷席にズラリと並んで観劇する光景は有名だ。

 父、13代目・片岡仁左衛門(享年90)の最後の舞台もこの劇場で93年12月の顔見世興行だった。歌舞伎発祥の地、と言われながら、いま関西に住んでいる俳優は少ない。

 「新しい南座に望むことはもちろん、少しでも多く歌舞伎をやってほしいということです」。いまは江戸歌舞伎が“主流”の印象で上方歌舞伎の存在が薄れている傾向は否めない。秀太郎は「いい役者も育っているだけに」と関西の芸の継承も願う。「1月にまねきの外された劇場前を通ると寂しくてね。でも僕の役者としての歴史も人生も、ほとんど全て南座と繋(つな)がっている。僕にとって命のようなものだと思っています」と南座愛を語った。

 ◆「まねき」看板“門外不出”の技継承

 京都の冬の風物詩といえば「吉例顔見世興行」の出演者の名前が書かれた「まねき」看板がおなじみ。今月25日に南座に上がる予定だが、作業が進む左京区の妙傳寺を訪ねてみた。

 ここは松嶋屋(片岡家)の菩提寺としても知られる。「まねき上げ」は南座を松竹が運営し始める1906年(明治39年)以降続き、書く人は現在4代目の井上優さん(73)。厚さ1寸(約3センチ)、長さ1間(約1・8メートル)、幅1尺(約30センチ)のヒノキ板に慣れた手つきで筆を運ぶ。「松本幸四郎」の文字が約15分で完成した。「大入り」の縁起をかつぎ、太く隙間なく内側に向かってはねる。勘亭流に見えるが実は微妙に違う。教本のない“門外不出”の技が熟練者で引き継がれる。

 15歳から修業してきた井上さんは「書くときは何も考えずに。昔は誰も教えてくれないから先輩を見て覚えた。字というより模様のイメージ。字の部分より隙間の形の見え方に意識がいくね」と“極意”を語る。役目を終えた板はどうなるのか気になるが、削って再び使われるそう。半分近く薄くなるまで大事に使われるそうだ。

 ◆南座の歴史 京都・四条大橋東詰に建つ日本最古の劇場。幕府の許可を得た「7つの櫓(やぐら)」の一つとして歴史に出てくるのが元和年間(1615~1624年)。歌舞伎の発祥(1603年)直後より歌舞伎を上演し続ける唯一の劇場。1906年より松竹が経営。鉄筋コンクリート4階建て。3階席まである客席数は1082席。ちなみに東京・歌舞伎座の開場は1889年(明治22年)。

芸能

×