勝谷誠彦さん、重症アルコール性肝炎で死去 病室でこっそり飲んで見つかったことも

スポーツ報知
勝谷誠彦さんの祭壇(カメラ・石田 順平)

 テレビなどで辛口コメンテーターとして活躍したコラムニストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さんが28日午前1時48分、肝不全のため、兵庫県尼崎市の病院で亡くなった。57歳だった。週刊誌記者、テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」や雑誌連載など幅広く活動した。最近は重症のアルコール性肝炎で入退院を繰り返していたという。この日は尼崎市内で通夜が営まれ、報道カメラマンの宮嶋茂樹氏(57)ら約300人が参列。29日に葬儀・告別式が執り行われる。

 開業医の弟・友宏さん(53)によると、勝谷さんは入院していた尼崎市内の病院で、2日ほど前から意識レベルが低下。再び意識が戻ることなく息を引き取った。「そろそろ病院を出られるんだ」などと会話をしていた矢先だったという。

 勝谷さんは、8月21日に腹痛のため病院で検査を受け、そのまま緊急入院。重症アルコール性肝炎と診断されたという。友宏さんは「(重症―は)致死率30~40%の病気。医者なので最悪の場合はこうなるという予想はしていましたが、本人もここまで悪いとは思っていなかったと思う」と説明した。

 意識がない状態が続いたが持ち直し、10月9日に退院。同20日には尼崎市内で開催された医療フォーラムに車いすで出席していた。退院後に配信した動画では、「勝谷は残念ながら消えません。ちょっと肝臓が縮んだり、ひげが生えたり、声が小さくなりましたが、戻ってまいりました」と話していたが、顔は浅黒くむくんだ様子だった。

 病に倒れるまで「一日も休んだことがない」(勝谷さん)という大好きなお酒を断つことはできなかった。10月下旬には都内の病院に入院したが、大量の酒を買い込んで一人部屋の病室でこっそり飲んでいるところを見つかったこともあったそうで、ほどなく尼崎市内の病院に転院した。

 勝谷さんのメールマガジン「勝谷誠彦の××な日々」を発行する高橋茂氏(58)によると、メルマガの文章が支離滅裂だったりミスが目立つようになったそうで「内臓疾患があると依存症の施設には入れてもらえないそうで、肝臓が良くなったら…という話はしていたんですが」と無念そうに言葉を絞り出した。

 勝谷さんは早大卒業後、文芸春秋に入社。「週刊文春」などで記者として活躍。96年に退社後もフリーランスとして様々な取材をこなした。一方で、テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」、「たかじんのそこまで言って委員会」などテレビ番組に出演。歯に衣着せぬ言動で人気となった。2017年には兵庫県知事選にも立候補したが落選した。

 この日夜に営まれた通夜には、約300人が出席。勝谷さんとの別れを惜しんだ。

 ◆勝谷 誠彦(かつや・まさひこ)1960年12月6日、兵庫県尼崎市生まれ。実家は開業医で、灘中・高から早大第一文学部に進み、卒業後に文芸春秋入社。主に週刊誌を担当し、96年からフリーとして活動。テレビ、ラジオ、雑誌を中心に辛口な社会時評に定評があった。

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