元SKE48加藤るみ「好きなこと仕事に」釣りドル&映画コメンテーター転身目指す

スポーツ報知
大きなアマダイを釣って、ちょっとドヤ顔!?の元SKE48の加藤るみ

 アイドルから釣りドル、さらには映画コメンテーターへと異色の転身を目指すのが、元SKE48の加藤るみ(23)だ。2015年の選抜総選挙では62位でフューチャーガールズになるなど人気メンバーの一人だったが、SKE卒業後は釣り番組、映画イベントに出るなど活躍の場を広げている。SKE時代に磨かれたトーク力を武器に情報バラエティー番組への進出にも意欲満々。セカンドステージでさらなる飛躍を目指す。(取材・高田 典孝)

 *  *  *  *

 2016年にSKE48を卒業してから釣りドルとしてセカンドステージに上がり、趣味を生かして映画コメンテーターも目指すなど、活躍の場を広げている。

 「好きなことを仕事にするのが、人生のスローガンです。今の仕事は基本的に楽しいですが、やっぱり楽しいだけではない部分もありますね。釣りは体力勝負。いろいろなジャンルの釣りがあるので、日々勉強です。映画では、その作品の魅力を自分の言葉で私と同世代の人たちに伝えられるようにしています」

 アイドルからの転身。自身初の雑誌表紙は、週刊誌ではなく釣り雑誌だった。

 「たくさんのメンバーがいる中で、雑誌の表紙を飾れるのはほんの一握り。釣り雑誌の表紙になれたことは本当にうれしかったです。個性を生かしていきたい思っていたので、アイドルが釣り雑誌という一風変わった表紙デビューは私の中でやったぞ感はありました。また、このお話を頂いたのは私がSNSで発信した自分の愛犬の毛を使ったフライがきっかけになったので、自分の力でつかみ取ったお仕事っていうのもあり、うれしさもひとしおでした」

 釣りと映画が好きになったきっかけは、両親の影響が大きかった。

 「釣りは父と3歳の時から岐阜の川でフライフィッシング始めました。能登(石川県)や御前崎(静岡県)でボート釣りをしたこともあります。映画は母が70年代、80年代のものが好きだったので、小さい頃から見せられていました。最初に見たのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でしたね。今はウッディ・アレンの映画が好きです。世の中を皮肉たっぷりに描いていて、それが真実と言っているようで好きですね。趣味が仕事になり、父と母の影響を受けて育ったんだな、としみじみ感じています」

 子どもの頃から目立つことが好きでタレント志望だった。知り合いに紹介されて2009年のSKE第2期オーディションに応募。135倍の狭き門を突破して合格した。

 「オーディションは、みんなピリピリしていましたが、一緒にいた松村香織ちゃん(現SKE48)が話しかけてくれたんです。彼女はこのオーディションには落ちてしまったんですが、第3期で合格してSKEに入ってきた時はびっくりしました」

 合格してもすぐには正規メンバーになれなかった。

 「SKEの中でのオーディションで落ちて、研究生からのスタートでした。公演では1曲しかないバックダンサーをやったり、先輩の衣装の手伝いをしたりと、下積みというような感じでしたね」

 それでも表舞台に出る準備は怠らなかった。

 「研究生が公演に出られるのは、先輩が休んだ時なんです。そのポジションが空くと、私たちに出番が回ってきます。なので、いろいろなポジションを覚えて『どこでも出来ます』とアピールしていくしかないんですよ。その当時は振り付けのDVDはなかったので、劇場で撮ったDVDを鏡に映して振り付けを覚えましたね。夜中3時、4時まで練習してました」

 そして10年、チームSに昇格した。そこで磨かれたのはトーク力だった。

 「先輩たちが『頑張っている子を出さないのはなぜ?』と運営側に言ってくれてチームSに入ることができました。本当にうれしかったですね。ただ、チームSはメインのチームなんです。ダンスのレベルも高い。だから毎日、自主練習していました。そしてメンバーがみんな個性が強い。私も個性を出すには、自己紹介やMCしかないと思い、必死にうけるネタを考えていました」

 13年の「大組閣」でチームK2に異動となったが、これには抵抗感があったと言う。

 「最初は大組閣を受け入れられませんでした。初めてSKEを辞めたいと思いました。私が子どもだったということもありましたが、これまで築き上げてきたものがなくなるようでイヤだったんです。しかし、『K2は私が引っ張るんだ』と思うようになりました。もっと上のレベルに上がるチャンスだとも考えました」 それもつかの間、14年にはチームEに異動となる。

 「私は旅人なんですね(笑)。こんなに異動するのは、SKEでは私と須田亜香里ちゃん(現SKE48)ぐらいのもの。この辺りから卒業を考えるようになり、悔いのない活動をしようと心に決めました」

 AKBグループの選抜総選挙では、14年は立候補を辞退した。15年の総選挙では62位に入り、フューチャーガールズに選ばれた。

 「総選挙って、ファンの数だけはないんです。1票1票投票してもらうのでファンの労力がものすごいんです。14年は、その時の私の力では(当選圏内に)届かない。一年間、力をためるつもりで辞退しました。15年はこれが最後と思い立候補しました。ファンの方たちも気づいていたと思います。私はSKEの選抜メンバーにも入ったことがなかったので(フューチャーガールズになって)あの舞台に立った時は、見たことがない景色でした。握手会の時のファンの方たちの顔が浮かびましたね」

 この総選挙がきっかけとなり、SKE卒業へと気持ちが傾いていった。

 「(アイドルを)やり切ったという感じですね。私はアイドルになりたくてSKEに入ったわけではないので、東京に出てチャレンジしたい気持ちが出てきました。SKEではできなかったことをやってみたいし、一人での力を試してみたい。大きな一歩を踏み出したかったんです」

 今後は映画や釣り関係の仕事のほかにも、いろいろ挑戦したいことがある。

 「まずは情報番組のレポーター。世界遺産も好きなので、ミステリーハンターもやりたいですね。SKE時代にはコントもやっていたので、お笑いも挑戦したい。もちろん女優も。映画を見ているので、演技が難しいこともは分かっていますが、やってみたいです。映画を撮ってみたいと考えたこともあります。自分が(アイドルとして)やってきたので、アイドルの映画を作ってみたいんです。あとは自伝とかエッセイも書きたいので、自分の周りで起きたことを携帯電話にメモしています。いつか本にできたらいいなと思っています」

 ◆加藤 るみ(かとう・るみ)1995年3月9日、岐阜県生まれ。23歳。2009年、SKE48の第2期オーディションに合格。10年、チームSに昇格。13年、チームK2に異動。14年、チームEに異動。15年、AKB48 41stシングル 選抜総選挙で62位になりフューチャーガールズに。16年5月、卒業。12年には世界遺産検定3級を取得。現在はBS釣りビジョン「つりステ釣会議」(初回放送毎週土曜日22時~)にコメンテーターとして出演。映画イベントにも多数出ている。今月16日には「傑作? 珍作? 大珍作! コメディ映画文化祭」(座・高円寺2)に出演予定。

 アイドルから釣りドル、さらには映画コメンテーターへと異色の転身を目指すのが、元SKE48の加藤るみ(23)だ。2015年の選抜総選挙では62位でフューチャーガールズになるなど人気メンバーの1人だったが、SKE卒業後は釣り番組、映画イベントに出るなど活躍の場を広げている。SKE時代に磨かれたトーク力を武器に情報バラエティ番組への進出にも意欲満々。セカンドステージでさらなる飛躍を目指す。

  

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 2016年にSKE48を卒業してから釣りドルとしてセカンドステージに上がり、趣味を生かして映画コメンテーターも目指すなど、活躍の場を広げている。

 「好きなことを仕事にするのが、人生のスローガンです。今の仕事は基本的に楽しいですが、やっぱり楽しいだけではない部分もありますね。釣りは体力勝負。いろいろなジャンルの釣りがあるので、日々勉強です。映画では、その作品の魅力を自分の言葉で私と同世代の人たちに伝えられるようにしています」

 アイドルからの転身。自身初の雑誌表紙は、週刊誌ではなく釣り雑誌だった。

 「たくさんのメンバーがいる中で、雑誌の表紙を飾れるのはほんの一握り。釣り雑誌の表紙になれたことは本当にうれしかったです。個性を生かしていきたい思っていたので、アイドルが釣り雑誌という一風変わった表紙デビューは私の中でやったぞ感はありました。また、このお話を頂いたのは私がSNSで発信した自分の愛犬の毛を使ったフライがきっかけになったので、自分の力でつかみ取ったお仕事っていうのもあり、うれしさもひとしおでした」

 釣りと映画が好きになったきっかけは、両親の影響が大きかった。

 「釣りは父と3歳の時から岐阜の川でフライフィッシング始めました。能登(石川県)や御前崎(静岡県)でボート釣りをしたこともあります。映画は母が70年代、80年代のものが好きだったので、小さい頃から見せられていました。最初に見たのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でしたね。今はウッディ・アレンの映画が好きです。世の中を皮肉たっぷりに描いていて、それが真実と言っているようで好きですね。趣味が仕事になり、父と母の影響を受けて育ったんだな、としみじみ感じています」

 子どもの頃から目立つことが好きでタレント志望だった。知り合いに紹介されて2009年のSKE第2期オーディションに応募。135倍の狭き門を突破して合格した。

 「オーディションは、みんなピリピリしていましたが、一緒にいた松村香織ちゃん(現SKE48)が話しかけてくれたんです。彼女はこのオーディションには落ちてしまったんですが、第3期で合格してSKEに入ってきた時はびっくりしました」

 合格してもすぐには正規メンバーになれなかった。

 「SKEの中でのオーディションで落ちて、研究生からのスタートでした。公演では1曲しかないバックダンサーをやったり、先輩の衣装の手伝いをしたりと、下積みというような感じでしたね」

 それでも表舞台に出る準備は怠らなかった。

 「研究生が公演に出られるのは、先輩が休んだ時なんです。そのポジションが空くと、私たちに出番が回ってきます。なので、いろいろなポジションを覚えて『どこでも出来ます』とアピールしていくしかないんですよ。その当時は振り付けのDVDはなかったので、劇場で撮ったDVDを鏡に映して振り付けを覚えましたね。夜中3時、4時まで練習してました」

 そして10年、チームSに昇格した。そこで磨かれたのはトーク力だった。

 「先輩たちが『頑張っている子を出さないのはなぜ?』と運営側に言ってくれてチームSに入ることができました。本当にうれしかったですね。ただ、チームSはメインのチームなんです。ダンスのレベルも高い。だから毎日、自主練習していました。そしてメンバーがみんな個性が強い。私も個性を出すには、自己紹介やMCしかないと思い、必死にうけるネタを考えていました」

 13年の「大組閣」でチームK2に異動となったが、これには抵抗感があったと言う。

 「最初は大組閣を受け入れられませんでした。初めてSKEを辞めたいと思いました。私が子どもだったということもありましたが、これまで築き上げてきたものがなくなるようでイヤだったんです。しかし、『K2は私が引っ張るんだ』と思うようになりました。もっと上のレベルに上がるチャンスだとも考えました」 それもつかの間、14年にはチームEに異動となる。

 「私は旅人なんですね(笑)。こんなに異動するのは、SKEでは私と須田亜香里ちゃん(現SKE48)ぐらいのもの。この辺りから卒業を考えるようになり、悔いのない活動をしようと心に決めました」

 AKBグループの選抜総選挙では、14年は立候補を辞退した。15年の総選挙では62位に入り、フューチャーガールズに選ばれた。

 「総選挙って、ファンの数だけはないんです。1票1票投票してもらうのでファンの労力がものすごいんです。14年は、その時の私の力では(当選圏内に)届かない。一年間、力をためるつもりで辞退しました。15年はこれが最後と思い立候補しました。ファンの方たちも気づいていたと思います。私はSKEの選抜メンバーにも入ったことがなかったので(フューチャーガールズになって)あの舞台に立った時は、見たことがない景色でした。握手会の時のファンの方たちの顔が浮かびましたね」

 この総選挙がきっかけとなり、SKE卒業へと気持ちが傾いていった。

 「(アイドルを)やり切ったという感じですね。私はアイドルになりたくてSKEに入ったわけではないので、東京に出てチャレンジしたい気持ちが出てきました。SKEではできなかったことをやってみたいし、一人での力を試してみたい。大きな一歩を踏み出したかったんです」

 今後は映画や釣り関係の仕事のほかにも、いろいろ挑戦したいことがある。

 「まずは情報番組のレポーター。世界遺産も好きなので、ミステリーハンターもやりたいですね。SKE時代にはコントもやっていたので、お笑いも挑戦したい。もちろん女優も。映画を見ているので、演技が難しいこともは分かっていますが、やってみたいです。映画を撮ってみたいと考えたこともあります。自分が(アイドルとして)やってきたので、アイドルの映画を作ってみたいんです。あとは自伝とかエッセイも書きたいので、自分の周りで起きたことを携帯電話にメモしています。いつか本にできたらいいなと思っています」

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