【平成回顧】〈8〉藤子・F・不二雄さんの元アシスタントが明かした、藤本さんの漫画に懸けた思い

スポーツ報知
パイプをくわえながら漫画を描く藤子・F・不二雄さん(写真提供/藤子プロ)

 天皇陛下の生前退位により4月30日で30年の歴史を終える「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、あらためて当時を振り返る。第8回は平成8年(1996年)。(この記事は2018年7月1日の紙面に掲載されたものです)

 平成8年9月23日、突然の訃報に多くの子供たちが涙した。「ドラえもん」「パーマン」などで知られる漫画家の藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんが、肝不全のために62歳の若さで亡くなった。半世紀近くにわたり国内外の子供たちに漫画で夢と希望を与え続けた藤本さんの「遺志」は、死後20年以上たった現在も作品のヒットという形で受け継がれている。元チーフアシスタントの漫画家・むぎわらしんたろうさん(50)に、藤本さんの漫画に懸けた思いを聞いた。(高柳 哲人)

 自宅書斎の机で「ドラえもん のび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記」の原稿執筆中に意識をなくし、藤本さんは「生涯現役」のまま亡くなった。当時チーフアシスタントだったむぎわらさんは訃報を聞き、「ああ、これでドラえもんは終わりだな」と思ったという。それも無理はない。「藤子不二雄」として活動していた1970年から30年近くにわたり、「ドラえもん」を生み出して来た原作者がいなくなったからだ。

 だが、藤本さんの机上を見て考えは変わる。置かれていたのは、「ねじ巻き―」のラフ画(構図などの大まかな設定が描かれた絵)と、作品に関するアイデアノート。「鳥肌が立ちました。そして、『これを漫画に起こさないと』と思いました」と連載を受け継ぎ、作品を完成させた。

 藤本さんは漫画に対する姿勢について、「良質の娯楽を提供したい」という言葉を残している。子供が相手だからといっていい加減な気持ちで描いた作品は通用しない。むしろ、子供たちはちゃんと見抜く。だからこそ作品の先にいる子供たちの目を見て、心の中を思ってリアルに届くように描く。それを可能にしたのは藤本さんの膨大な知識量だった。

 「藤本先生はとにかく読書家でした」。読むジャンルはさまざま。出社するたびに手にしている本が違うという速読だった。さらに、本や雑誌、新聞を切り抜いたスクラップを作っていた。「建築物」「風刺」などジャンル分けも全て自分で作業。「アマゾン(熱帯雨林)の資料を渡されて背景を描くよう言われ『どこで買ってきた本なんだろう?』と思いました」と、驚かされたことも多々あったという。

 かつてのむぎわらさんがそうだったように、漫画家は先輩のアシスタントをしながら勉強をし、後に独立するパターンが多い。その中で、「師匠」が自分の作品について「弟子」に指示をすることはあっても、「弟子」のオリジナル作品の指導をすることはほとんどないという。だが、藤本さんはきちんと「弟子」の作品を読んで1コマごとにアドバイスを書き込み、多忙の中でも後進の育成も気にかけていた。

 「アシスタントで作った同人誌に、先生は『オリジナルの漫画を描かない人は漫画家とは言わない。時間がないのは分かるが、効率の問題だよ』という言葉を寄せてくれました」。むぎわらさんはその言葉に、自分の作品を生み出すことの大切さを改めて感じさせられたという。

 藤本さんは子供の頃、手塚治虫さん(1989年死去)の作品に衝撃を受け、「こんな漫画が描きたい」と漫画家になった。その藤本さんの「ドラえもん」を見て育ったむぎわらさんが、現在は漫画家となり連載をしている。

 「漫画というのは、そのようにして後世まで引き継がれていくもの。作者が亡くなっても、作品はなくなりません」。藤本さんの作品の総発行部数は約1億5000万部、今年公開された映画「ドラえもん のび太の宝島」も興収53・2億円と大ヒットしているように、今も人気は衰え知らず。世の中に「漫画」がある限り、藤本さんの作品は色あせることなく、「良質の娯楽」として、次の時代も愛され続ける。

 ◆藤子・F・不二雄(ふじこ・えふ・ふじお)本名・藤本弘。1933年12月1日、富山県高岡市生まれ。小学校5年の時に安孫子素雄(藤子不二雄(A))さんと出会い、コンビを組む。51年、毎日小学生新聞の「天使の玉ちゃん」でデビュー。54年に上京し墨田区両国を経て豊島区の「トキワ荘」へ引っ越し。同年から藤子不二雄のペンネームで活動し、寺田ヒロオさんらと「新漫画党」を結成する。63年、「すすめロボケット」「てぶくろてっちゃん」で第8回小学館漫画賞受賞。87年、安孫子さんとのコンビを解消。94年、「ドラえもん」で日本漫画家協会文部大臣賞受賞。96年9月23日、肝不全のため死去。享年62。

 ◆むぎわらしんたろう 1968年7月12日、東京都生まれ。50歳。87年、「秋風の贈り物」で第14回小学館新人コミック大賞児童部門藤子不二雄賞を受賞。88年、藤子プロに入社。94年からはチーフアシスタントを担当。96年の藤本さんの死去後は、絶筆となった「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」などを執筆。2000年に独立。17年、藤本さんとの交流を描いた「ドラえもん物語~藤子・F・不二雄先生の背中~」を発表。現在、月刊コロコロコミックで「野球の星 メットマン」を連載。

 ◆ミュージアムには仕事机も展示

 2011年には川崎市多摩区に「藤子・F・不二雄ミュージアム」がオープン。藤本さんの作品の原画や関連資料のほか、藤本さんが愛用していた仕事机が置かれた「先生の部屋」、作品を自由に読むことのできる「まんがコーナー」などがあり、藤本さんの人柄や作品への思いが最も伝わる場所となっている。

 ◆入館チケット 日時指定による予約制で、全国のローソンでのみ購入可能。毎月30日に翌々月のチケットが発売される。休館日は毎週火曜、入館料は大人1000円、中高生700円、子供(4歳以上)500円。

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