デビュー20周年の氷川きよし、脱・演歌界のプリンスへ「肩書に縛られないアーティストに」

スポーツ報知
デビュー20周年を迎え、「自分の殻をどんどん打ち破っていきたい」と決意を語った氷川きよし(カメラ・関口 俊明)

 歌手の氷川きよし(41)が、2月2日からデビュー20周年イヤーに突入する。2000年にデビュー曲「箱根八里の半次郎」が100万枚超えの大ヒット。その後も日本レコード大賞、NHK紅白歌合戦19年連続出場と演歌界のトップを走ってきた。一方、最近は演歌の枠にとらわれない多彩なジャンルの楽曲に挑戦し、「脱・演歌界のプリンス」を宣言。デビュー当時の大失態、トップを走り続ける葛藤や今後の展望などを聞いた。(星野 浩司)

 19年前。茶髪にピアスでド演歌を歌いこなす22歳のイケメン・氷川きよしは「平成の股旅野郎」としてデビューした。

 「すごく苦手なキャッチフレーズでした。三度笠にカッパとわらじでキャンペーンを1日8か所とか回って恥ずかしかったけど、事務所は『笑われれば笑われるほど名前を覚えてもらえるんだ』と。とにかく耐えて、文句一つ言わずにやりました」

 芸名はビートたけし(71)に命名されたのは有名な話だが…。

 「事務所の長良(じゅん)会長(12年死去)、たけしさんと僕で食事して、会長が『山田清志郎』『あっぱれきよし』とか10個くらい候補を出して『たけし、どれがいい? 氷川きよしだろ? な!』みたいな。それで北野監督命名!ってなった。氷が透き通るような感じで一番良かった名前です」

 20年の歌手人生は「長かった。周りの皆さんが氷川きよしを作ってくれた」と感謝する。一方、歌手人生で忘れられない大失態が2つある。1つは「箱根八里の半次郎」のレコーディングだ。

 「不安と緊張で前日にお酒を飲み過ぎて、二日酔いで1時間遅刻して行ったんです。(師匠の)水森英夫先生は『それだけのタマだからスターになる』と笑ったけど、ディレクターは『デビューできなくなるぞ。お金払えるのか。親に請求がいくぞ』とどなられて、我に返った。僕は本当に生意気でひどい男でした」

 もう1つはデビュー4年目、急性咽頭炎で公演を中止したことだという。

 「すごい本数の公演をやってて、体力的に限界でした。でも、長良会長から『次に来られるか分からないお客さんもいる。声が出なくてもやるんだ』と叱られた。自分の体調管理不足で何万人を悲しませるんだと自覚して、そこからはコンサートに穴を空けてないです」

 「箱根―」は100万枚超えの大ヒットになった。

 「氷川きよしを作ってくれた原点。若くてバーンっと後先考えずに全力で1曲入魂で歌ってたから、今でも一番難しい曲です。デビュー当時から『演歌界のプリンス』というイメージを作り上げられすぎて、氷川きよしに付いていけなくてやめたい時もありました」

 一方で、一発屋の危機にも見舞われていた。

 「『箱根―』は“やだねったら、やだね”が流行語になって、1年目で消えると批判の声もあったんです。『大井追っかけ音次郎』も売れて、3曲連続で股旅ものかって時に『きよしのズンドコ節』。ズンドコの意味が分からず、勘弁してよって感じ。一心不乱に歌ってヒットして、5曲目の『白雲の城』でやっと王道の演歌を歌った」

 幼少期はポップス曲好きの少年だった。

 「4歳の時に旅行で行った壱岐対馬のバスの中で、松田聖子さんの『赤いスイートピー』をアカペラで歌ったんです。その時、歌って心に刺さるエネルギーがあるなとキュン!ときた。小1で福岡で聖子さんのライブを見て、子供ながらに刺激を受けて歌手に憧れました」

 小中学時代は小室サウンドやCHAGE&ASKAを歌ったが、高1で学校の芸能クラブで教師から演歌を薦められた。

 「最初は演歌が嫌だと断ったら、大量の演歌のカセットテープを渡されたんです。なかなかこぶしがまわらなくて苦戦したけど、演歌を聴きまくって研究したら、だんだん面白くなった」

 地元のカラオケ大会は全勝。オーディション番組の審査員を務めていた水森氏の内弟子になるため、高卒後に上京した。

 「バイトしながらレッスンを続けて3年半後、当時の長良社長の前で三橋美智也さんの曲とか3曲歌ったんです。『いいんじゃないか』と言われて、あっさりデビューが決まったんです」

 デビュー年から紅白歌合戦に初出場し、日本レコード大賞最優秀新人賞に輝いた。演歌ではトップ級の売り上げを誇ったが、意外なライバルがいた。デビューは2年先輩で、1歳下の浜崎あゆみ(40)だった。

 「01年からレコ大3連覇して、CDも何百万枚売れるスター。僕が演歌で一番売れてても雲泥の差だった。顔も小さくてキレイで、カリスマ性を研究してた。マネジャーから『次元が違う』と言われたけど、何十年かかっても何かやってやると思った。同じ福岡人に負けたくなかったんです」

 氷川自身、今の演歌界をどう思っているのか。

 「演歌が古典芸能化してきてますね。古き良き音楽は時代が変わってもなくならないけど、表現のスタイルを変えなきゃ時代に合わなくなる。自分が演歌界を背負う気持ちなんて一切ない。演歌歌手といってもカリスマ性のあるアーティストであるべきです」

 40歳を迎えた17年には、アニメ「ドラゴンボール超」の主題歌でハードロック曲「限界突破×サバイバー」を歌うなど、自身の殻を破ってきた。

 「可能性のドアが開いた。何で自分を押し殺して羽を広げないんだと思ってたけど、今後は自分の信念を生かしたい。『演歌界のプリンス』という肩書に縛られないアーティストになります。歌は一生続けたいけど、キレイな声で聴ける範囲で終わりたい。60歳でズンドコはやりたくないかな。昔の曲を大切にしつつ、新しい年相応の作品に出会うのが目標です」

 最後に、結婚や家庭を持つ願望はあるか聞いてみた。

 「それはもう氷川きよしには必要ない。ホッとする家族の空間は手に入れられなかったけど、その分ほかのものを手に入れた。華やかに一生を歌にささげていきます」

 ◆氷川 きよし(ひかわ・きよし)本名・山田清志。1977年9月6日、福岡市生まれ。41歳。福岡第一商業高校を卒業後、2000年2月に「箱根八里の半次郎」で歌手デビュー。同年日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場(18年まで19年連続出場)。06年「一剣」で日本レコード大賞。08年は紅白で初めて大トリを務めた。代表曲は「きよしのズンドコ節」「白雲の城」など。178センチ。血液型A。

 ◆7月11&12日に武道館ライブ

 氷川は7月11、12日に東京・日本武道館でライブを行う。5、10、15周年公演を行ってきた思い出の地で「イノシシ年なので猪突(ちょとつ)猛進で頑張りたい」と気合十分だ。平成最後の年の新曲は今春に発売予定。詳細は未定だが、「新しい時代になっても人の心を打てる曲を歌っていきたい」と目を輝かせた。また、5月18~27日には大阪・新歌舞伎座で「氷川きよし特別公演」を行う。

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