長岡裕也五段、憧れ羽生先生から研究会のお誘い 感想戦で驚きのオヤジギャグ

羽生善治九段(48)の右腕と呼ばれる棋士がいる。2009年から現在まで、将棋界の第一人者と研究会を続けている長岡裕也五段(33)は、1月28日に出版したばかりの新刊書籍「羽生善治×AI」(宝島社、1728円)で、誰も知らなかった羽生の素顔についてつづっている。初めての研究会の日、緊張する長岡に羽生が放ったオヤジギャグとは―。
「もしもし、羽生ですけど…。あのー、将棋を指しませんか…?」
09年1月4日にかかってきた衝撃の電話を、長岡は昨日のことのように覚えている。
「『ひえええ!』と思って、何とか『明けましておめでとうございます』と返すのが精いっぱいでした」
将棋界には、数人の棋士で定期的に集まって練習対局を指し、流行型や最新型について知識や考察を深める「研究会」という慣習がある。誰と研究会を行い、どのような力を得るかは勝負に直結する重大事項でもある。「僕は強い棋士ではないので、正直ビックリしました。光栄ですけど、自分でいいのだろうか…という重圧は今も感じます。『なぜ、私に…』と聞いたことはないです」。羽生は後に、将棋雑誌に連載していた長岡の序盤研究の精度に着目し、研究会を打診したことを明かしている。
同じ東京都八王子市出身。羽生の出身道場「八王子将棋クラブ」に5歳頃から通い、棋士を夢見た。「将棋界のことは知らなくても、羽生先生のことは知っていました。小学校高学年の時に指導対局で教えていただいたことは、今も貴重な思い出です」
棋士になって5年目。研究パートナーに指名され、迎えた初日。対局後の感想戦で局面を検討していた時のことだ。通常なら「これは(駒を)取りにくい…」と語るところ、羽生は「これは確かにトリニータ…」とまさかのオヤジギャグを放ってきた。
「ガチガチに緊張している僕を見て、冗談をおっしゃっていただいたことは分かったんですけど、あまりにガチガチすぎた僕はリアクションできなかったんです。僕の父の出身地が大分であることも知ったうえでの冗談なのだろうか…とか…思わず考え込んでしまいました」
研究会の日は、ランチを挟んで朝から夕方まで盤を挟む。私的な場で羽生と交流を持つ者は将棋界にも少ない。「もちろん多少は気軽にお話しできるようになったとは思いますけど、プライベートに踏み込んだことは一度もないです。『今日は娘を迎えに行かなきゃいけないんですよ』と聞いた時は、ああ、お父さんをやってるんだなぁと思ったくらいで…」。ちなみに、終了後にたまには一杯…というようなことは。「一度もないです」
書名にあるように、本書は現代将棋を席巻するAIの進化も掘り下げている。羽生は常にテクノロジーの最先端を追っているイメージがあるが、長岡の接する生身の48歳はアナログな人に映るらしい。「スマホやパソコンの扱いは得意な方ではないと思います。コピー&ペーストのやり方もお伝えしたことがあるくらいなので…。着信音の消し方もご存じないんじゃないかと…よく鳴っているので(笑い)」
月1のペースで続けてきた時間も10年が経過した。「ご一緒していて、嫌な気持ちになったことは一度もありません。羽生先生のお人柄なんでしょうけど、終わった後はなぜか明るい気持ちになって解散するんです。父親のような、というわけでもないし、兄貴分とも当然違います。『優しい先輩』としか言いようがないような方です。今も…憧れの気持ちはなくならないです。羽生先生のファンの方と気持ちは同じなのかもしれないですね」
通算成績422戦191勝231敗。棋士になって15年目を迎え、栄光を手にした経験のない長岡は「自分は成績の悪い棋士なので…これでいいのか、という思いは常にあります」と己を見つめている。「やはり、羽生先生と公式戦で対局したいです。自分が頑張らないと実現できないこと(羽生は各棋戦でシードされるケースが多く、下位との対局は少ない)ですけど、こんなにお世話になっているからには、指したいです」
研究会での勝率は1~2割。羽生が長岡に「負けました」と頭を下げる一局が増えれば増えるほど、真剣勝負の機会は近づくだろう。(北野 新太)
◆長岡 裕也(ながおか・ゆうや)1985年8月18日、東京都八王子市生まれ。33歳。故・米長邦雄永世棋聖門下。97年、棋士養成機関「奨励会」入会。2005年、19歳で四段(棋士)昇段。10年、五段昇段。序盤研究に定評があり、昨年12月には10冊目の戦術書「神速!角換わり▲2五歩型必勝ガイド」を出版。竜王戦6組、順位戦C級2組に在籍中。