橋下徹氏、天国の堺屋太一さんへ涙の弔辞「大阪万博のテープカットに…」

スポーツ報知
堺屋太一さんの葬儀・告別式で、涙ながらに弔辞を述べる橋下徹前大阪市長

 8日に多臓器不全のため83歳で亡くなった元経済企画庁長官で作家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんの葬儀・告別式が17日、都内で営まれ、弔辞を読んだ橋下徹前大阪市長(49)が号泣して言葉を詰まらせる場面があった。橋下氏は、2008年の府知事選で堺屋さんから出馬を説得されて以来、公私ともに親交があった。急逝だったため見舞いにも行けなかった無念の思いが、涙となった。式には約1000人が参列し、別れを惜しんだ。

 弔辞を読み始める前から、橋下氏は泣いていた。「先生…、これは…いけませんよ。先生には、2025年の…大阪万博のテープカットに…立ってもらわないと困るんです」。途切れそうになる言葉を紡ぎながら、遺影へ語りかけた。「ぼくなんか計算ばかりの男ですが、情熱とパッションが人を動かし、政治を動かすということを教えていただきました」と感謝の言葉を述べると、「こんな政治家人生を与えて下さって本当にありがとうございました」。熱を込めて話すと、こぼれる涙を指でぬぐった。

 橋下氏と堺屋さんは、08年の府知事選出馬以来の仲。「最初に(府知事選に)誘っていただいたときのこと、覚えていますか? みんな『橋下さんの利益になるよ』とかバカな話ばかりでしたけど、先生は僕でも分かるような歴史のエピソードを交えて4時間くらい話してくれましたね」。幕末の志士・高杉晋作を引き合いに「転換点においては役割を演じきる人物がいるんだ」と語りかけられたことを明かし、「それが橋下さんなんだと…。単純な僕は、それで出馬しました」と振り返った。

 関係者によると、堺屋さんは今年1月16日に心臓弁膜症の手術を受け、そのまま入院したという。当初は元気で退院後の予定も決めていたが、2月5日に体調が急変。遺書も残せないまま、同8日に亡くなった。手術したこと自体を誰にも知らせていなかったため、訃報は親しい人々も報道で初めて知った状態だったという。寝耳に水だった橋下氏は、ショックから死去直後は堺屋さんへのコメントを出せなかったほどだった。

 橋下氏は弔辞の最後に「大阪万博は、堺屋さんの情熱、パッションのたまものです」と話し、「今は少しお休みになられて、2025年には一緒に大阪万博をぐるぐる回りましょう」と声を詰まらせた。大阪万博までは絶対に生きると周囲に宣言していた堺屋さんに対する、精いっぱいの呼びかけだった。

 出棺にも松井一郎大阪府知事とともに参加。涙をためながら柩(ひつぎ)に合掌する姿に堺屋さんへの思いの深さが表れていた。(樋口 智城)

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