佐藤純彌監督、逝く 10年「桜田門外ノ変」が最後の作品

スポーツ報知
亡くなった佐藤純彌監督。大作映画を数多く手掛けた

 「男たちの大和/YAMATO」「新幹線大爆破」など邦画を代表する映画監督として知られた佐藤純彌(さとう・じゅんや、本名同じ)さんが9日午後11時、多臓器不全のため、都内の自宅で死去していたことを17日、東映が発表した。享年86。この日、家族のみで告別式を終えた。喪主は長男で日テレディレクター、佐藤東弥(さとう・とうや)氏。3年前より消化器系疾患で療養していた。2010年「桜田門外ノ変」が最後の作品となった。

 昭和を代表する名匠が、静かに息を引き取っていた。関係者によると、佐藤さんは3年前より消化器疾患の診断を受けていたが、入院治療を拒否。家族にも「延命治療はするな」と何度も伝えていたという。

 1月19日には東映OBとマージャンを楽しんでいた。「つらい体調の中、監督なりにお別れの意味もあって参加したのだろう」(関係者)。今月に入り状態が悪化。9日午後11時、多臓器不全の衰弱で家族に見守られる中、旅立った。愛煙家で、亡くなる前日までたばこを吸っていたという。

 佐藤さんは東大を出て1956年に東映入社。63年に「陸軍残虐物語」で監督デビューし、ブルーリボン賞新人賞を受賞。フリーに転じた68年以降は大作をいくつも生み出し、才能が開花した。

 伝説的なのが高倉健さん主演で75年公開の「新幹線大爆破」。国鉄(現JR)の許可を得ず撮影された。東映社長だった岡田茂さんの「日本にもパニック映画を」と製作されるも、完成は公開4日前。試写をせずに封切りし、ヒットしなかった。ところが、輸出された海外で面白さが認められた。キアヌ・リーブス主演「スピード」のモチーフとなったのは有名だ。

 どんな困難な海外ロケも敢行したため“極地監督”の異名も。「植村直己物語」(86年)では北極ロケ。「おろしや国酔夢譚」(92年)では91年のソ連崩壊の時期に大規模ロケを行い、シベリアにも撮影現場を求めた。一方で、奇抜な実験作も手掛けた。マンガ「ゴルゴ13」を高倉健さん主演で実写化。「北京原人Who are you?」ではDNA操作で現代によみがえる北京原人を描いた。

 平成に入っても製作意欲は衰えず、「男たちの大和―」は05年邦画興収1位。興収51億円で東映実写作品の最高記録をつくった。佐藤監督は当時「合理化できない手作りのメディアが映画。この仕事を選んで良かった」と語り、人生に悔いがないことを明かしていた。

 ◆佐藤 純彌(さとう・じゅんや)1932年11月6日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、56年に東映入社。今井正、伊藤大輔監督らにつき、63年「陸軍残虐物語」で監督デビュー。68年にフリーとなる。82年「未完の対局」はモントリオール世界映画祭グランプリ獲得。88年「敦煌」で日本アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞を受賞。「キイハンター」「Gメン75」などのテレビドラマも手掛けた。

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