38年間、今なお戦い続ける高橋道雄九段…醍醐味語った「順位戦は人生」
第77期順位戦が佳境を迎えた。A級からC級2組までの全5クラスは3月の最終戦で挑戦、昇級、残留争いを展開する。棋士たちにとって、ファンたちにとっても年度のクライマックスとなる熱い季節。順位戦参加38期目、A級在位13期を誇る高橋道雄九段(58)は「順位戦は人生を懸けた勝負。最も棋士らしい戦いができる場所です」と語る。
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38年間にわたり、順位戦を舞台に歓喜も絶望も味わってきた高橋は語る。
「棋士の対局とは本来、深夜までお互いに体力と神経を削り合って戦うものです。丸一日をかけて一局を戦う順位戦は、何よりも棋士らしい場所だと思います」
頂点に立つ名人への挑戦を目指す順位戦。8大タイトル戦のひとつだが、棋士たちにとって他の7棋戦とは意義が異なる。400年以上の歴史を持つ名人位への夢、全棋戦で最も長い各6時間の持ち時間を戦う過酷、先手・後手が事前に確定していることによる戦略性。何よりも、在籍クラス、順位は己の力を示す指標となる。低迷すれば参加資格を失い、最終的には強制的に引退しなくてはならない規定もある。
「あと、順位戦のランクは収入の根幹になります。クラスによって待遇は全然違います。生活が懸かれば勝負への重圧も変わる」
20歳で四段(棋士)に昇段した高橋は1981年度から順位戦に参戦した。
「1期目で同期昇段の中村(修九段)君、南(芳一九段)君と一緒に昇級して、2人は次の年も上がっていきましたが、私だけC級1組に5期も取り残されて…。途中でタイトルを取った(83年度・王位)んですけど、当時の感覚ではA級棋士はタイトルホルダーより偉かった」
29歳でA級に昇級し、31歳の時には名人挑戦を果たす。91年度のA級は史上まれにみる激戦で、6勝3敗で並んだ4者によるプレーオフに突入した。初戦は、4か月後に亡くなることになる68歳の大山康晴十五世名人との激闘となった。
「あの年、ご病気を抱えながらよみがえって…。私との一局は勝敗を超えた将棋でした。大山先生は最後、1手詰めの局面まで諦めずに指された。体力と精神力を注ぎ込んで戦った最後の絶局でした。大山先生とそのような将棋を指せたことは今も大切な記憶です」
次戦、盟友の南と雌雄を決した。
「大阪での対局が千日手指し直しになり、終局は午前3時を超えました。でも、次の日は朝から東京で中村君と研究会だったので、1時間だけ寝て帰京して。でも中村君の家の前で力尽きちゃったんです…。将棋を指すのが本当に好きだったんですね」
当時4冠の谷川浩司も下し、中原誠名人に挑戦した。3勝4敗で敗退したが、語り継がれる名勝負となった。
「名人戦に出るのは棋士なら誰でも夢見ることですけど、まさか自分が…と思ったことを覚えてます。いや~長く戦ってますと、いろいろ思い出はありますよね」
その後、降級の屈辱を何度も味わいながら、3度もA級に返り咲いた。2008年度、48歳になっても復帰し「中年の星」とも言われた。
「山あり谷ありですね~。ただ夢中で戦ってきただけですけど、順位戦にしか起こり得ないドラマというものはたしかにありますよね」
現在は藤井聡太七段(16)らとともにC級1組に在籍している。39人中4番目の年長者だが、今期5勝4敗と勝ち越している。昨期の開幕戦では、現在順位戦18連勝中で叡王戦挑戦を決めたばかりの実力者・永瀬拓矢七段(26)を破り、今期は藤井の連勝記録を止め話題になった佐々木勇気七段(24)にも勝利した。
「バリバリの若手と戦うのは大変です…。70歳現役でいたいと思いますけど、どこまで順位戦を戦っていけるか。厳しい場所ですけど、とどまれば戦い続けられるありがたい棋戦でもあるんです」
3月5日、平藤眞吾七段(55)との最終戦を迎える。6勝4敗と勝ち越すか、5勝5敗の指し分けで終えるか―。高橋にとって、順位戦390戦目の長い夜がやってくる。(北野 新太)
◆高橋 道雄(たかはし・みちお)1960年4月23日、東京都北区生まれ。58歳。故・佐瀬勇次名誉九段門下。80年、四段(棋士)デビュー。83年の王位戦で内藤國雄を破り、史上最低段(当時)の五段で初タイトルを奪取。獲得タイトルは王位3、棋王1、十段1の通算5期。矢倉を主力とする重厚な棋風の居飛車党だが、横歩取りの空中戦にも秀でる。ニックネームは「地道高道」。棋界随一のサブカルフリークとしても知られる。