村山慈明七段、来月関西へ移籍「40歳までの5年がラストチャンス」

スポーツ報知
「すぐに関西弁に変わるかしれませんね」。笑顔を見せる村山慈明七段

 今、決断の春―。「序盤は村山に聞け」のフレーズで語られ、2015年度NHK杯優勝者の村山慈明(やすあき)七段(34)が4月1日付で東京から関西に移籍する。慣れ親しんだ街を出て、活況に沸く関西棋界での飛躍を期す。タイトル挑戦と順位戦A級昇級を目指す実力者は「40歳までの5年がラストチャンスだと思っています」と決意を語る。

 青空の下、梅の花を見つめる村山の表情は柔らかい。迷いを捨て去り、走り出す時を待つ男の顔だった。「寂しさは感じないです。今は大阪での暮らしが楽しみですね。昔から大阪という街が好きで、20代前半の若手の頃には、なぜか5年連続で『近鉄将棋まつり』に行ったくらいで…。友だちも多いんです」。旅に出る前の高揚が声に表れた。

 移籍の理由は単純にして明快。「よく言われるんですけど、家庭の事情とかじゃないんです。環境を変えて、もう一度頑張ってみようという思いだけで」。ふと口調に実感がこもる。「自分がもし…タイトルを取るくらいの活躍をしていたのなら大阪に行くことはなかったと思います。今の自分の成績は納得できるようなものじゃないので」。覚悟を決め、変化を求めた。

 誰もが認める力を持つ。通算成績は607戦387勝220敗、勝率・638。村山より多く戦い、村山より高い勝率を残している棋士は広瀬章人竜王、豊島将之王位・棋聖、渡辺明棋王・王将、羽生善治九段、木村一基九段、山崎隆之八段の6人しかいない。2015年度には豊島2冠、広瀬竜王らを破ってNHK杯を制している。「でも、自分としては全然ダメなんです。30の時に結婚して、頑張るしかないぞと思いましたけど、指し盛りと言われる30代前半で結果を残せたのはNHK杯くらい。順位戦もB級1組から降級しましたし…」。タイトル戦は過去に2度、挑戦者決定戦まで進出したが、いずれも晴れ舞台への切符を逃している。

 「でも、自分はまだまだやれるんだ、とも思ってるんです。だからこそ移籍して最初の5年が勝負になります。5月で35になるので、棋士としては40歳までの5年がラストチャンスだと思ってます。40代…45歳にもなれば緩やかに下っていくのが自然ですから」

 飛躍への契機を探した時、勃興する関西棋界の輝きが魅力的に映った。豊島2冠、斎藤慎太郎王座という若きタイトルホルダーが誕生し、藤井聡太七段が衝撃を与え続けている現場は小所帯ゆえに放熱の温度が高い。

 「関西の将棋会館に行くと東京にはない活気を感じます。若い棋士たちが完全に変えましたよね。自分の若い頃は東京の方が研究も情報も先を行っていましたけど、今はむしろ関西が上回っていると感じることも多いです。居飛車党として定跡型や最新研究を追うスタイルを貫くつもりですけど、若手に鍛えてもらいたいと思ってます」

 当然、得るものがあれば失うものもある。定期的に続けて来た10件ものVS(練習将棋)や研究会は全て終える。羽生九段、木村九段、松尾歩八段との4人で長年行ってきた研究会、通称「羽生研」も抜ける。「すごく感謝をしていますし、築いたものを失うのは正直もったいないと思いますけど、勝負師らしく前向きでありたいです」

 序盤の研究家として称される時のフレーズは「序盤は村山に聞け」。映画化もされた夭折(ようせつ)の天才棋士・村山聖九段(1998年に29歳で死去)が生前、度々語られた言葉「終盤は村山に聞け」に由来する。

 21年ぶりの「西の村山」となる男は「タイトル戦に出ることと順位戦A級を目指します」と誓う。東京の棋士たちが「関西のことは村山に聞け」と語り始める日は、すぐにやってくるだろう。(北野 新太)

 ◆村山 慈明(むらやま・やすあき) 1984年5月9日、東京都日野市生まれ。34歳。桜井昇八段門下。5歳で将棋を始める。羽生九段を輩出した道場「八王子将棋クラブ」で力をつけ、小5で小学生名人に。95年、棋士養成機関「奨励会」入会。2003年、19歳で四段(棋士)昇段。07年に新人王戦優勝、勝率1位賞、新人賞。13年に勝率1位賞。15年、NHK杯制覇。家族は妻。

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