園子温監督「生まれ変わった新人のつもりで」いざハリウッド…2月心筋梗塞で一時心肺停止

スポーツ報知
心筋梗塞で入院した時のことを振り返ると同時に、今後はさらに精力的に活動していくことを誓った園子温監督

 2月7日に心筋梗塞のため都内の病院に救急搬送され、手術を受けた「冷たい熱帯魚」「新宿スワン」などで知られる園子温監督(57)が、このほど手術後初めてスポーツ報知の独占取材に応じた。現在は自宅療養中で、日常生活に全く支障がないところまで回復しているものの、一時は心肺停止状態となったことを明かした。死線をさまよった園監督は、夏以降にクランクイン予定のハリウッド進出作「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」(原題)も含め「生まれ変わったつもりで仕事をしていきたい」と意欲を語った。(聞き手・高柳 哲人)

 日本映画界の鬼才を突如襲った病魔。手術翌日の2月8日には「話すことができた」と報じられ、2週間ほどで退院したことから、容体はそれほど深刻ではないと思われていたが、園監督は「手術中に一度、心肺停止状態になったと後から聞きました。今はピンピンしていますが…」と、一時は最悪の事態も考えられたことを明かした。

 搬送時から手術が始まるまでは意識を失うことはなかったという。「痛み止めを入れる時に『半分入れます』という医師の声が聞こえて『ケチらずに全部入れてよ』とか思っていたら、いつの間にかフッと落ちて(意識がなくなって)いた」。その後、不思議な体験をした。

 「(SF映画の)『2001年宇宙の旅』に出てくるような場所に自分がいて、天の川みたいなものが見えた。そうしたら、その後に手術室のような景色が見えてきて『あれ、異界に来ちゃったか…』と思ったら、そっち(手術室)の方が現実だった。そこで目が覚めたんです」。映像の世界に生きる映画監督らしい“臨死体験”を、園監督は「いや、面白かったですよ」と振り返った。

 妻の女優・神楽坂恵(37)が、倒れる2日前に長女を出産したばかり。「妻は(長女の)出生届と(自分の)死亡届を同時に出さないといけなかったかもしれない。そうしたら大変だったでしょうね」。回復に向かいつつある現在だからこそ口にできる冗談だが、再び生を得ることができたのは運命とも感じている。

 「救急車に乗せられた後、受け入れ先が決まらなくてなかなか出発しない。こっちは『苦しいんだから、早く連れてってよ』と思う中、ようやく決まってサイレンを鳴らし始めたら1分もしないで到着。家のすぐ近くにある病院で、『これなら最初から歩いて行けばよかった』と。でも、近かったから手遅れにならずに済んだ」

 また、担当医の息子の名前の読みが「しおん」。手術の際に手首から入れた血管を拡張する金属の器具の名称が「“シオン”ブルー」。奇妙な一致にも驚かされたという。

 当初は4月にクランクイン予定だった「プリズナーズ―」は、米国のプロデューサーが病気と長女の誕生を考慮してくれたそうで、「夏の終わりから秋くらいに撮影を開始する予定です」。主演を務める米俳優ニコラス・ケイジ(55)のスケジュールも確保できているそうで「体調を見ながら、来月にも打ち合わせやロケハンのために渡米する予定」とした。

 病気によって出はなをくじかれる形となったが、ハリウッドへの思いは衰えるどころか、ますます盛んだ。「美術でいえばピカソもダリもパリに向かった。それと同じで、映画を作る人間だったらハリウッドに行かないといけないという気持ち。映画づくりの最先端ですから。そして、そこで作り続けることが重要。今回の一本で足元を固められるなんて大それたことは考えていませんが、生まれ変わった新人のつもりでやっていきたいと思っています」

 ◆まさかのビール注文…ほどほどに

 久々に会った園監督は、顔がふっくらして以前とは異なる印象。「自分では分からないんですが、顔色が良くなったとはよく言われますね」。とはいえ、変わらない点も。取材の際に飲み物のメニューをめくる手が止まったのは、アルコールのページ。注文したのはビールだった。

 「たしなむ程度ですから。飲んでも1瓶ですよ」。グラスを手にしながら話す姿に「やはり…」と苦笑させられたが、退院後は健康には細心の注意を払っているという。そこには、ハリウッドにかける思いが。今後の「夢」のため、体調を悪化させる暇はないのだろう。

 ちなみにヘビースモーカーとしても知られるが、今年に入ってからは倒れる前まで吸っていなかったという。「このまま禁煙ですね」と話を振ると「撮影で『頑張った!』という時に、葉巻を吸いたいなあ…」。そこも酒と同様にほどほどにして、今後も傑作を生み出し続けてほしい。(哲)

 ◆園 子温(その・しおん)本名同じ。1961年12月18日、愛知県豊川市生まれ。57歳。17歳で詩人としてデビュー。法大在学中の86年、「俺は園子温だ!」が、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)で入選。87年の「男の花道」がPFFグランプリを獲得。90年の「自転車吐息」以降、監督作が世界各国の映画祭に招待された。90年代前半にはパフォーマンス集団「東京ガガガ」を主宰。2011年、「冷たい熱帯魚」で報知映画賞監督賞などを受賞。同年、女優の神楽坂恵と結婚。

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