内田裕也さん 最後の公の場は恒例年越しライブ 2曲予定も4曲熱唱していた

スポーツ報知
内田裕也さん(2014年)

 ロックミュージシャンの内田裕也(本名・内田雄也)さんが17日午前5時33分、肺炎のため都内の入院先で死去した。79歳だった。

 最後の公の場となったのは年が明けてすぐ。1973年から自身が主催する恒例の年越しライブ「ニューイヤーワールドロックフェスティバル」に出演した。昨年9月に妻で女優の樹木希林さん(享年75)が全身がんで亡くなった後、初めてのライブ。喪主を務めた樹木さんの葬儀、映画イベントにも車いす姿で参列するなど出演が不安視されていたが、年明けの零時20分過ぎ、車いすで無事にステージに登場した。

 樹木さんについては触れなかったが、樹木さんが生前「人生の最後に聞いて逝きたい」と話していた「朝日のあたる家」を右手にマイク、左手にステッキを持ちながら最初に披露。立ち見も出るほど会場を埋め尽くした観客の“裕也コール”に「センキュー。最近にないほど観客が入ってうれしいです」と力を振り絞って感謝した。

 当初は続けて歌った「コミック雑誌なんかいらない」の2曲で終了する予定だったが、大歓声に力づけられ、さらに「ジョニー・B・グッド」、「きめてやる今夜」と2曲も多い4曲を披露。「ジョニー―」の途中ではスタッフに支えながら立ち上がり、左手のステッキを高く掲げて健在ぶりをアピールしていた。

 樹木さんが亡くなったショックを乗り越えての出演に「新しい年を迎えて、開催できることを本当にうれしく思います。関係者の皆さんに支えられた。この借りは、今年中に返します」と力強く宣言していたが、その後、姿を見せることはかなわなかった。

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