さよなら「ロケンロール」内田裕也さん、希林さん追うように天国へ 

スポーツ報知
内田さんの自宅をあとにする長女の也哉子さんと孫のUTA(カメラ・小泉 洋樹)

 ロック歌手の内田裕也(うちだ・ゆうや、本名・内田雄也)さんが17日午前5時33分、肺炎のため都内の病院で死去した。79歳だった。葬儀、告別式は近親者で執り行う予定。「生涯ロックンローラー」として数々の“伝説”を生み、刑事事件や都知事選出馬など、本業以外で話題になったことも。また昨年9月に死去した妻の女優・樹木希林さん(享年75)との夫婦関係は、奇妙かつ固い絆で結ばれていた。樹木さんとの別れから半年、後を追うように天国に旅立った。

 「ロケンロール」「シェキナベイベー(Shake it up, baby=腰を振れ)」の決めぜりふで世間を騒がせ続けたロックンローラーが静かにこの世を去った。

 内田さんは2017年に脱水症状で入院した後は、足腰が弱って車いすで移動することも多かった。16日には見舞いにも応対し、オムライスを食べるなど元気な様子も見せていたが、17日に容体が急変。ひとり娘でエッセイストの内田也哉子さん(43)が駆けつけたが、最期はみとれなかったという。

 娘婿の俳優・本木雅弘(53)は仕事で今月13日から渡英。4月初旬まで滞在予定だったが、早めの帰国を調整している。本木は所属事務所を通じ「容体を見守る日々の中で、私も妻もどこかで覚悟はしておりました」。一時帰国中の長男、次男と10日に内田さんを見舞ったといい「熱はありましたが、とても穏やかで、孫たちの話にもうれしそうにうなずき、現在放送中の私のCMについても『なかなかイイな』と褒めてくれました」と明かした。

 最後のステージとなったのは恒例の年越しライブ「ニューイヤーワールドロックフェスティバル」。2曲の予定だったが、大歓声を受け4曲を披露。復活を宣言したが、これが最後の絶唱になった。

 独特の感性で芸能史に伝説を残した。ビートルズ来日公演で前座を務め、ザ・タイガースらを発掘するなど日本のロックのパイオニアとなった。映画人としても、企画・脚本・主演を務めた86年の「コミック雑誌なんかいらない!」で報知映画賞など数々の賞を受賞した。

 私生活ではお騒がせな一面も。大麻吸引など3度の逮捕歴のほか、91年には都知事選に出馬し、落選した。何より、樹木さんとの特異な夫婦関係は、長きにわたり話題となった。ムッシュかまやつさんらの紹介で出会い、73年に結婚したが、わずか1年半で別居。81年には内田さんが離婚届を提出するも樹木さんが離婚無効の訴訟を起こし、婚姻継続となった。その後は、樹木さんを「KKさん」と呼び、つかず離れずの関係だった。

 昨年9月、樹木さんが亡くなる直前には、意識が薄れていく樹木さんに電話で「しっかりしろ!」と声を掛け続けた。無言の対面をした際には「キレイな顔をしてる。昔から美人だと思ってたんだよ」と笑い、荼毘(だび)に付されたあごの骨を持ち帰っていた。愛妻の死から半年。40年以上の時を超え、天国で再び一緒に暮らす時が来たのかもしれない。

 ◆内田 裕也(うちだ・ゆうや)本名・内田雄也。1939年11月17日、兵庫県生まれ。59年に日劇ウエスタンカーニバルで本格デビューし、67年に渡欧。帰国後はロックフェスやバンドのプロデュースを行う。86年に映画「コミック雑誌なんかいらない!」で報知映画賞の作品賞、主演男優賞を受賞。73年に女優・悠木千帆(後の樹木希林さん)と結婚。長女の也哉子さんは95年に俳優・本木雅弘と結婚した。

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