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祝・円歌襲名決定 三遊亭歌之介が語る師匠との絆 酒と泪と師匠と弟子… たった一度の二日酔い

2018年4月22日17時30分  スポーツ報知
  • 貴重な師弟ツーショット行きつけのすし屋でくつろぐ三遊亭円歌さん(前列左)と歌之介(2016年)
  • 1987年の真打ち昇進披露パーティーで並ぶ三遊亭歌之介(左)と師匠の円歌さん

 昨年4月に亡くなった三遊亭円歌さんの弟子・三遊亭歌之介(59)が来年3月に4代目・円歌を襲名することが発表された。最近は襲名をめぐるゴタゴタも注目を集めたが、今回は“横やり”が入ることもなくスムーズだ。生前から円歌さんは一門の中で歌之介に名前を譲ることを公言しており、“遺言”に沿った形になったからだ。

 円歌さんは、若くして売れた。歌奴を名乗っていた二ツ目時代には、初代・林家三平とともに寄席でトリを務めたこともある。寄席の席亭が真打ちしかトリを取れない“不文律”を破るほど売れに売れた。1970年に3代目・円歌を襲名してからも、爆笑王として常にトップランナーとして走り続けた『小さな巨人』だった。

 歌之介は、高校卒業後の78年に円歌に弟子入りした。襲名の経緯を聞くと驚くべきエピソードが語られた。「私はけしからん弟子ですよ。(入門前に)ウチの師匠の高座を生で聞いていないんだもの」。落語家を志した野間賢(さとし)青年(本名)は、週刊平凡に載った円歌さんの対談記事に出会った。写真のキャプションに「四ツ谷の自宅にて」とあった。「四ツ谷に行けば何とかなるだろうと思って、上京して駅前で郵便屋さんに聞いたら、事細かに教えてくれて」。自宅を訪ね入門を願い出たが、今度は師匠が驚いた。「俺の前の名前は知っているよな」と問いかけると、目の前の青年は「知りません」と答えた。

 「おーい、歌奴を知らないやつが弟子入りに来たよ~」。それまでの弟子は全員、歌奴時代に取った弟子。10年ほど弟子を断っていたという。それでも入門を許された理由を歌之介は後になって知った。「おかみさんが喜んでくださったんです。師匠に『流産してなかったら同じくらいの年ですね』って」。和子夫人は結婚直後に流産してから子供はいなかった。「本当におかみさんにはかわいがっていただきました」。

 「しくじった経験は少なかったですね。あまり怒られなかったし、泣きながら謝ると最後は許してくれた」。円歌一門では自分から辞めた弟子はいたが、師匠から破門した弟子はいなかった。「スリッパで頭をひっぱたかれましたね。手で殴ると痛いからって」。身長の低い円歌さんがスリッパを持つと、たたきやすいように頭を下げて前に差し出したという。

 豪快な師匠だった。芸者遊びに繰り出し、毎晩酒を飲んだ。「80(歳)過ぎてからも打ち上げで6軒付き合いました」。河岸を変えるたびに、人数は減っていくがほぼ最後まで歌之介はお供をした。どれだけ飲んでも次の日はケロッとしていた。「人生で二日酔いしたことがない」と豪語していた円歌さんだが、歌之介は師匠の人生たった一度の二日酔い経験を聞いたことがある。

 80年9月だった。円歌さんは山形・天童で和子夫人から電話を受けた。「三平さんが亡くなったのよ。がんだったみたいよ」。爆笑王として人気を二分していた盟友の死にショックを受けたこともある。和子夫人は末期の胃がんだったが、本人には告知していなかった。余命少ないことを知らない夫人のけなげな言葉に、円歌さんはやりきれなかったのだろう。「あの時は朝までボトル2本開けて、二日酔いで根岸(の三平家に弔問)に行った」。歌之介は師匠の言葉を今でも思い出すという。

 律義で江戸っ子らしいエピソードも教えてくれた。円歌さんは、襲名直後にサッポロビールのCMに出演したこともあり、恩義を感じていたという。「店に置いてなければ違うものを飲みましたが、あれば絶対『サッポロ』でしたね」。だが、80歳を過ぎたころに師匠がボソッと言った。「アサヒビールのCMを撮るんだ」。驚いて理由を聞くと、江戸っ子の師匠に是非出演していただきたいとのオファーを受けたという。この話には後日談がある。「CMをとったけど、NGになった。俺、アサヒビールって言えねえんだ」。江戸っ子があだとなり、何度言っても“アサヒ”が“アサシ”になってお蔵入りとなったという。

 円歌さんは後年の高座はほとんど「中沢家の人々」ばかりで笑わせ続けた。歌之介は「酔っぱらった勢いで師匠に聞いたことがあるんです。『毎日、やってて飽きませんか』」。すると円歌さんは「芸は飽きるようじゃダメだ。飽きないようにやらないといけない」と返した。師匠から教わった「最短距離で笑わせろ。無駄な言葉を入れずに無駄をはぶけ」とともに指針となっている。

 師匠が亡くなって、歌之介は毎晩のように酒を飲んでは「師匠に会いたい」と泣きに泣いた。そんな時に出会ったのが平昌五輪で活躍したスピードスケート小平奈諸選手の「心の断捨離」という言葉だった。「師匠を忘れることは出来ないんですけど、涙を流してばかりではいけないと思いました」。

 月命日には欠かさなかった墓参りも今は“封印”している。師匠から離れたわけではなく明確な理由がある。「襲名披露で50日間ネタを変えようと思っている。新作をつくらないといけないんで、出来たらお墓の前で一席やって高座にかけたい」。胸を張って師匠に襲名を報告したい。師匠が亡くなっても、その存在は歌之介の中で永遠に生き続けている。

 落語家が口をそろえて言うことがある。「師匠の芸にほれて弟子入りしたんだから、誰だって師匠の名前を継ぎたいんだ」。歌之介が師匠・円歌さんを語る口調には敬愛の情がにじみ出ている。師弟の強い絆を感じるとともに、新たに誕生する4代目・円歌の活躍を期待したい。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

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