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最後の弟子、三遊亭王楽が語る「師匠・円楽」 入門から17年 記念日に独演会

2018年5月1日10時30分  スポーツ報知
  • 入門記念日となる5月8日に初めて独演会を行う三遊亭王楽
  • 師匠・円楽との貴重な一コマ 二ツ目昇進披露に臨む王楽(中央)と円楽(右、左は林家こん平)

 誰にでも忘れられない記念日というものがある。誕生日、結婚記念日、命日…。人それぞれに記念日があるが、落語家・三遊亭王楽(40)にとって「5月8日」は大事な日である。5代目・三遊亭円楽に弟子入りを許された日であるからだ。27番目で最後の弟子として濃密な時間を過ごした王楽が、あれから17年、亡き師匠の思い出を語った。

 その日のことは今でも鮮明に覚えている。「師匠のご自宅に両親を連れて…、というか連れていかれたんですけどね…」と王楽は思い出すように語り出した。“連れて行かれて…”という表現が王楽が置かれている特異な境遇を示している。王楽の父親は三遊亭好楽(71)で、親子で同じ師匠に弟子入りしたのだ。

 「子供の頃はお父さんのことが恥ずかしくて…。自分は地味に生きたいと思っていました」。前名の林家九蔵時代から日本テレビ系「笑点」のメンバーで活躍していた父親と同じ職業になるとは夢にも思わなかった。だが、大学に入り初めて落語を聞いて夢中になった。自宅にある落語のテープなどを聴きあさった。「父親が一人でいるときに『噺家になりたいです』と言ったんです」。恥ずかしさもあり父親に弟子入りすることは考えていなかった。父親も息子の気持ちが分かっていたのだろう。「誰に弟子入りするか決めなさい。どこでも好きなところに行っていいから」。父親と同じ師匠・円楽に入門したいと告げると段取りをつけてくれた。

 両親とともに3人で訪問。「お昼ご飯に天ぷらそばをごちそうになって、この世界のことや思い出話を2時間くらいしてくださって…」。おもむろに師匠は「お前さんの名前なんだけどね」と色紙を出した。色紙には、日付とともに「王楽」と書かれていた。

 両親とともにソファに座っていた王楽だが、その瞬間、好楽に引きずり下ろされ、床に正座して父親と一緒に頭を下げていた。入門と同時に名前が決まった。父親の慌てふためく姿に、「こういう世界なんだ」と感じていた。さらに続きがある。王楽が言う。「大将が、『あとはね、こんなのも考えたんだけどね』って…」。師匠の手にはボールペンで「聖楽(せいらく)」って書かれた箸袋があった。「(お手元と色紙だったら)そりゃ色紙の方だろうって内心思いました」。師匠の予期せぬ行動だった。

 円楽はかつて「星の王子様」をキャッチフレーズにした。王楽も名前にちなみ「2代目・星の王子様」を自称しているが、名前の由来は聞いていない。前座らしからぬ名前に「最初はもっとぺーぺーの名前が良かったと思いましたね。身の丈に合わない服を着せられている感じでした。でも噺家も歌舞伎の世界でもそうだけど『なんて読むの?』という名前が多い中、これしか読めない、『おうらく』としか読めない名前だったのは感謝していますね」。

 入門がかなうと同時に「3日後に稽古に来なさい」と告げられた。訪問すると稽古を付けてくれた。「私は落語マニアじゃなかったので、長い噺だなぁと思って」。自宅に帰り、父・好楽にあらすじを伝えると父親は「あの人、何考えているんだろう」と驚いたという。「二十四孝」だった。最初の稽古は小咄や前座噺が定番だが、大ネタをいきなり教わったのだ。

 必死に覚えて10日後に自宅に行くと、新しい噺を教わった。「たらちね」だった。その後は「子ほめ」「牛ほめ」「金明竹」「野ざらし」「一分茶番」「花筏(いかだ)」「鰻屋」「弥次郎」と立て続けに2か月で10席も教わった。ネタの内容とともに数も異例だった。王楽は「直弟子では僕が一番教わったようです」と感謝した。

 稽古は決まって自宅2階の和室だった。「緊張しました。6畳くらいの和室にあんなにでかい人が、迫力がある人が差し向かいでいるんですからね」。そこでたくさんの“財産”を分けてもらった。稽古初日に聞いた師匠の言葉は今でも覚えている。「努力を続けられる人、それが天才だ」。必死にノートに書き留め、今でも心に留めている。

 23歳で入門した時に師匠は68歳。前座時代は師匠とともに全国を旅して濃密な時間を過ごした。師匠の若い頃は怒り出すと止まらなくなる激情な一面もあったというが、王楽は年が離れていたためか、小言を言われたりしくじった経験はない。「本当に優しかったです。質問すると答えてくれましたし…」。

 それでも、年月がたつにつれて、かつての師匠の言葉が深く身にしみることがあるという。「その時は自分に届いていないことを言われていたけど、後になって(言葉の意味に)気がつくんです。年ふるごとに響きますね」。旅でも師匠がポツリと言ったことがある「怒るというのはエネルギーがいるんだな」。「その時は分からずに『そうなんですね』って答えていたけれど、本当は怒りたかったんでしょうね。今思えばってことがよくあります」。時折、師匠が言っていた言葉を思い出し、当時は理解できなかった本当の意味を知ることが増えた。改めて師匠のすごさを実感した。

 師匠は07年2月に進退をかけると明言して上がった国立演芸場で「芝浜」を演じた後に引退を表明した。王楽も脇で聞いていた。「ひいき目に見ても引退しなくてもいいと思っていた」。それでも引退を表明した意図を自分なりに考えた。「メッセージがあると思いました。『いつまでも私はいないんだよ。もっと頑張んなきゃダメだよ』と言う一門の人たちへのメッセージだったと私は解釈しました。噺家って引退したくないんです。拍手を浴びて…。拍手って麻薬みたいなもので辞められないんです。そう考えると勇気ある行動だと思いました」。

 翌年、王楽は「鼓ヶ滝」でNHK新人演芸大賞の落語部門大賞を受賞した。落語家には賞にこだわらない人もいるが、円楽は違った。王楽にことあるごとに言っていた。「口さがないものは、『あんなものたいした賞じゃない』とか言うけれど、だったら取っちゃうんだよ。賞を取ってから『たいした賞じゃない』って言った方が格好いいだろう」。受賞の報告に行った際に、喜んでくれた師匠の笑顔が忘れられない。

 王楽は09年10月1日に真打ちに昇進。円楽は最後の弟子の昇進を見届けるかのように、4週間後の29日に天国へと旅立った。王楽は亡くなる2日前に自宅にお見舞いに行き、言葉こそ交わせなかったがギュッと手を握ってくれた。翌日に父・好楽と再度、訪問した時は、ほとんど意識がなかった。握った手から伝わった最後の“ぬくもり”を今でも覚えている。

 もうすぐ「5・8」の入門記念日だ。今年は東京・内幸町ホールで独演会を開く。これまでも独演会を行ってきているが、17年目で初めて“節目の日”にぶつける。「師匠のお陰で今の自分がある。落語協会、芸術協会、立川や上方と本当に色々な師匠方にかわいがってもらって、好き勝手に色んな所に勉強に行って人脈を広げることができたのも、師匠のお陰です」。独演会では現在の得意ネタ3席を口演する。天国の師匠への感謝の思いとともに、渾身の高座を務める。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

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