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三遊亭円楽が「博多・天神落語まつり」をプロデュースする理由「名人になれないのは認めて…」

2018年9月13日11時0分  スポーツ報知
  • 三遊亭円楽
  • 「博多・天神落語まつり」の豪華出演者
  • 落語芸術協会への客員加入が決まった三遊亭円楽(左)は桂歌丸会長と握手(2017年6月)
  • 師匠の名前を6代目として襲名することを発表した三遊亭楽太郎(当時、左)と5代目・三遊亭円楽(2008年8月)

 落語家・三遊亭円楽(68)がプロデュースする「博多・天神落語まつり」が今年も11月1日から4日間、開催される。東西の人気落語家が所属団体の垣根を越えて勢ぞろいする落語ファン垂涎の祭りは、楽太郎時代の2007年にスタートし、今年で12回目を迎える。円楽は「干支(えと)で一回り、早いもんだね」と感慨深げに振り返った。

 ■中州の酒飲み話から…

 きっかけは“酒飲み話”だった。「中洲で飲んでいて、独演会ではなくて、一堂に会するお祭りみたいのはできないのって話題になって」。地元福岡のイベント会社の人と意気投合した。「最初は赤字が出たら2人で背負おうっていう話で…」。初年度は2日間で12公演からスタートした“祭り”は昨年は2万人を動員する一大イベントとなった。

 広く認知されたのは09年の第3回だった。「ウチの師匠が亡くなって…。(落語界の)主要な人がみんなこっちに来ていて…。ワイドショーが取材に来た」。師匠の5代目・円楽は同年10月29日に76歳で亡くなった。翌日は“祭り”の初日だった。死去が公表されると、取材陣が福岡に集まった。「今思えば、師匠が命を懸けて宣伝してくれたのかなとも思うよね」。

 ■先代円楽、歌丸の教え

 プロデュースを続けている要因に、師匠と恩人の教えがある。「ウチの師匠が言っていたもん。『しっかり落語をやってくれよ』と…」。師匠から譲り受ける形で日本テレビ系演芸番組「笑点」のレギュラーメンバーとなり、知名度と人気を得た。地方公演などで落語をせずに漫談でお茶を濁すこともあった楽太郎(当時)に師匠が怒ったことがある。「お前を食わすために売ってんじゃない。売れるってことは、人が覚えて、またお客さんが来る。だから落語をやってくれないと困るよ」。

 円楽は言う。「歌丸師匠も同じ事を言っていた。『人寄せのパンダになるんだったら、そこで落語というものをちゃんとやって、ファンにしないといけない。それが落語への恩返しだよ』と…」。今年7月に81歳で亡くなった歌丸さんは、ほぼ毎年「博多・天神落語まつり」に参加していた。昨年は酸素ボンベを持ち込み、決死の覚悟で出演した。「昨年に、『ちょっともう旅は無理だな』って言っていた。でも仙台に車で行ったり、命がけだったものなぁ。さみしいけどね…。小言を言ってくれる人いなくなっちゃったしね」と円楽は遠くを見つめて思い出を語った。

 ■番組編成の楽しみ

 福岡という場所の“地の利”を生かしている。「大阪でやったら東の人間が遠慮する。東京だったら上方の人が遠慮する。ちょうどいい場所なんです。打ち上げなんて不良高校の修学旅行みたいだもん」。酒の席で意気投合することで一層東西交流が深まり、各地で共演する落語会が増えた。

 複数会場での同時開催となるが、それぞれの楽屋ではリアルタイムで、他会場の出演者のネタが掲示される。「裏でもしのぎを削っていますよ」。番組編成がプロデューサーとしての腕の見せ所でもある。「この人とこの人でやったらどうなるかな、と考えるのが楽しい」。初日には「白昼堂々の二人会」として立川志の輔(64)と初の二人会を仕掛ける。「二人会をやってみたかったんだ。俺は“志の輔らくご”のファンで、彼にかなわないのは分かっている。胸を借りるつもりで…」。また「林家三平包囲網・Sの会」として林家三平(47)と柳家花緑(47)、柳家喬太郎(54)、三遊亭兼好(48)、柳家三三(44)の若手実力派と組ませた。「日本落語協会準備会」と称して、落語協会会長・柳亭市馬(56)、上方落語協会の前会長・桂文枝(75)ら、5派の落語家を競演させるなど、メッセージ性を持たせている。

 ■今後の展開と最後の夢とは…?

 「博多・天神落語まつり」の新たな展開はあるのか。「顔をそろえて全国を回りたいね。一座を組んで、北から回したり、南から回したり。プロレスの巡業じゃないけどね。幾つかのパッケージを作って。(今までのような)スケジュール売りじゃなくて番組売りをしようよということです」。地方の興行主に日程だけを提供する形から、自分たちから企画して売り込む形にしたいという。

 自身の落語家としての今後についても語った。「名人になれないのは認めて…、なる努力もしないことを決めている。自分は達人になるんだと思っている。プログラムを組んだときに必要である存在。名人でも上手でもない、達人としての道があると思う。今まで“流されて”ここまで来て。上げ潮のゴミにうまく引っかかったんだけど、これからは自分でもがいて恩返しをしないとね」。

 そして言葉を続けた。「最後の夢は東京の落語界をひとつにすること。みんな(古典落語という)同じ先祖の遺産で食っているんだもん。オオカミ少年じゃないけれど、言い続けますよ」。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

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