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元ライバル記者の死で思い出した19年前の北野武監督の号泣

2018年11月4日11時0分  スポーツ報知
  •  「たけし泣き崩れる」の見出しで母・さきさんの通夜の様子を報じた99年8月25日の「スポーツ報知」芸能面。北野監督にマイクを向ける武藤まき子さんも16年に亡くなった

 突然の訃報だった。「東スポのAさん、亡くなったんですよ」―。後輩から聞かされた東京スポーツのベテラン記者の死。肺がん、52歳だったという。

 その瞬間、記憶は19年前の雷雨の夜に飛んだ。当時、映画担当だった私は1997年9月、「HANA―BI」で第54回ベネチア映画祭の最高賞・レオーネドール(金獅子賞)に輝くなど、映画監督として世界のトップを走り始めた北野武監督(ビートたけし=71)に番記者として密着。タレント・たけしと映画監督という二つの顔を持つ多忙な大物の行くところ、どこにでも顔を出す毎日だった。

 当時から客員編集長を務め「東スポの顔」だった監督の番記者として、私以上に密着していたのがAさんだった。そう、あの時も…。

 99年8月24日の午後7時半、私は喪服に身を包んだ北野監督の左隣にいた。「俺は世界一のマザコンだからよ」と常々、口にしてきた最愛の母・さきさん(享年95)の通夜が東京・葛飾区の蓮昌寺で営まれた。通夜終了後、憔悴し切った様子の北野監督は降り続く雷雨の中、テントの下で待ちかまえた取材陣の質問に答えたのだった。

 「本当にたけしさんのことだけを考えて生きてくれたお母さんでしたよね?」―。そう質問したのは、16年に死去した芸能リポーター・武藤まき子さんだった。「泣かせのまき子」と言われた武藤さんの言葉に、それまで淡々と答えていた監督は「俺の見ていた母親はいつも働いていて、いつも泣いていた親だったからさ…。感謝してる…」。そう絞り出したとたん、「うう~…」と泣き出すと、降り続く雨でぐちゃぐちゃの地面にガックリとヒザをつきそうになった。

 右隣にいた長身のAさんが、すっと手を出し、本当に自然な動きで、その肩を支えた。私も手を差し出そうとしたが、監督への敬愛の念が強すぎたのか、一瞬、その体に直接、触れることがためらわれた。わずか数センチの距離にいながら、崩れ落ちる、その体を見つめることしかできなかったことを鮮明に覚えている。

 「やはり、Aさんとは、これまでに培ったたけしさんとの距離の近さが違う。本当にうらやましい」―。正直にそう思った。その後も北野作品が出品されたカンヌやベネチア映画祭、「BROTHER」(00年)の米ロサンゼルス・ロケなど海外出張でも一緒になったAさんとは、こちらの一方的羨望もまじった程よい関係にあったと思う。

 そんな元ライバルの死。どうしても、北野監督の受けたショックを想像してしまう。今年2月、93年の「ソナチネ」から始まり、昨年公開の「アウトレイジ 最終章」まで全10作品でコンビを組んだ大杉漣さん(享年66)が亡くなった直後、生出演したテレビ番組で、監督はこう言った。

 「すごい不謹慎だけれど、一番いい時に死んだんじゃないかなと思うんだよね。(売れなくなっての)芸人の末路は嫌だなと思うし、一番、輝いて忙しくていい時に漣さん、いい思い出でいたって感じがして。それを言っちゃうと怒られるんだけれど。自分のことを考えれば…。うらやましいって言っちゃえば失礼だけれど、良かったねって言っちゃうね」。死の直前まで出演ドラマ「バイプレイヤーズ」を撮影していた大杉さんの“現役バリバリ”での急死を独特の表現で悼んだ。

 「ソナチネ」での出会いから四半世紀。大杉さんと10作品で最高のチームを組んできた北野監督だったからこそ口にできたコメント。確かに遺族や大杉さんを大切に思う数多くの人たちにとっては、大きな誤解を招きかねない言葉だったが、そこには監督自身の死生観が色濃く現れていた。

 「俺は映画で成功してもお笑いは一生、絶対にやめない。笑いとシリアスは最大のテーマ、生と死ということでもあるんだよ」―。北野監督のその言葉を聞いたのは、97年9月6日の深夜、「HANA―BI」のレオーネドール受賞直後のベネチアの中華料理店でのことだった。

 日本人として39年ぶり3人目のグランプリ監督となった北野監督は、今は独立騒動の末、たもとを分かつ形となった森昌行プロデューサー(オフィス北野社長、65)とともに受賞パーティーの行われたベネチア・リド島唯一の中華料理店に密着取材をしていた私を招いてくれたのだった。

 テーブルの正面に座った監督が、しこたまワインを口にした後、ポツリとつぶやいたのが「笑いとシリアスは最大のテーマ、生と死ということでもあるんだよ」という言葉だった。

 その時、理解したことがある。「世界のキタノ」は常に「メメント・モリ(ラテン語で『死を想え』)」という言葉を意識的に胸に刻んでいるということ。北野語録の中でも有名な「振り子の理論」=映画監督・北野武とお笑いタレント・ビートたけしは笑いとシリアスの両極端を振り子のように連れ動く存在、両方に振り切れながらも絶妙にバランスを取っている=にしても「生の喜び」の裏には常に「死の恐怖」が隣り合わせに存在しているという意識の裏返しでもある。

 実際、多くの北野作品で、たけし演じる主人公は自死を選ぶ。「ソナチネ」では自分たちを利用したヤクザ組織の大物たちを皆殺しにした上で拳銃自殺、「HANA―BI」では対立組織を根絶やしにした末に、ともに逃避行した不治の病の妻を撃った上で心中自殺。「BROTHER」では、追い詰められた末に取り囲んだ無数の敵の前にたった1人で飛び出し、無数の銃弾を浴びるという事実上の自死を遂げている。未見の方もいると思うが、大杉さんとの最後の仕事となった昨年公開の「アウトレイジ 最終章」もまた…。

 数多くの作品のラストシーンに格好悪く生き延びるくらいなら潔い死を選ぶという独自の死生観が描かれているのは事実だろう。実際、九死に一生を得た94年のバイク事故も自作の酷評に悩んだ末の潜在的な自殺未遂だったという見方が有力だ。

 そして今、記者として90~00年代の一番いい時間をともに過ごしたAさんの死で、私にもいや応なく「死を想う」時間が訪れた。

 生きている限り、誰にでも死は訪れる。それは、あなたにも私にも平等に。問題はその時、その瞬間、格好良く満足いく形で生きることができているか。

 「おまえさんのその生き方、格好悪くねえかい?」―。北野武の「透徹したまなざし」は数々の作品と一見、破天荒にも見える生き様を通じて、常に私たちにそう問いかけている。私はそう感じる。(記者コラム・中村 健吾)

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