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「とにかく時代とズレないように」…世界のキタノだからこその愛情あふれるテレ東へのエール

2018年11月9日11時0分  スポーツ報知
  • 8日に行われた「いきなり、たけしです。」取材会でテレビ東京にエールを贈ったビートたけし

 命がけで映画を作ってきた世界トップクラスのクリエイターの言葉は、やはり重みが違った。

 タレント・ビートたけし(71)が12日から1週間に渡って、テレビ東京の番組に出演し続ける「いきなり、たけしです。」(12日~16日、後6時55分、17、18日・後6時半)の取材会が8日、東京・六本木の同局で行われた。

 今回、同局では「テレビ東京55周年 テレ東ぜんぶ見る大作戦WEEK」と題して、「YOUは何しに日本へ?」「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」などの人気番組を放送時間を拡大して連日放送。「いきなり―」は各“勝負番組”の前に3分間のミニ番組として放送される。

 この日1日をかけ7本分の収録を終えた、たけしは紋付き袴姿で待ちかまえた約30人の取材陣の前に現れると、「テレ東の看板のような番組の頭に、それに対する味付けというか裏話じゃないんだけど、その番組のパロディーをやって景気づけてやろうかと。(収録は)大爆笑だったし、今回は55周年だけど、これを機会に56年、57年とやってやろうと。最後は本体を乗っ取って、俺がレギュラー(番組)を取っちまおうかと思います」と笑わせた。

 お笑いタレント・たけしの表情が一瞬、引き締まったのが、ここ2年ほどの間に「出川の充電―」や「緊急SOS! 池の水ぜんぶ抜く大作戦」など、アイディア勝負のワンコンセプト番組で高視聴率を稼ぎ、業績好調のテレビ東京について聞かれた時だった。

 最初こそ「テレビ東京もね。始めの頃は東京スポーツと変わってないっていうね。やっていることが全部ウソくさいってのがあって。田中角栄逮捕の日に東京スポーツは『猪木、血だるま』って書いていて、テレビ東京はアニメをやっていたというね。ほほ笑ましい。ブレない感じがなんとも言えませんね」と笑わせた。

 しかし、同局系「たけしのニッポンのミカタ!」(金曜・後10時)が来年、放送10周年を迎える、たけしは「ここのバラエティーは結構、自由にやらせてもらって。クレームの電話を受けている人たちは大変だと思いますが、結構、面白かったですね」としみじみと続けた後、「とにかく、新規(の企画)で面白い番組を作っているのが、テレビ東京なんでね。プロデューサーやディレクターに勢いがあってね。(彼らは)満足していないところがすごくあって。主流どころに追いついてやろうと。民放ならではの番組を作ってやろうとしているよね」と、同局制作陣が聞いたら、泣いて喜ぶような言葉を漏らした。

 1997年9月、「HANA―BI」で第54回ベネチア映画祭の最高賞・レオーネドール(金獅子賞)に輝くなど、映画監督として世界のトップを走り始めた時期に番記者として、たけしに密着していた濃密な時期が私にはあった。だから、この日の質問が「物作り」や「クリエィティブ」な部分に踏み込んだとたん、その表情が「タレント・ビートたけし」から「映画監督・北野武」に一気に変化していくのが分かった。

 「これくらいフレキシブルに、いろんなチャンスを捕らえては新企画をやるというのが、テレビ東京のいい所だと思います。マンネリ化してなくていいな」と言う、この日のほめ言葉は、そのまま、89年の初監督作品「その男、凶暴につき」で深作欣二監督の突然の降板から急きょメガホンを取ることになった自身の「フレキシブルな」映画人生を、そのまま投影したものにも思えた。

 語るうちに、すっかり作り手の顔になっていた、たけしは視聴率低迷など、悪化の一途をたどるテレビ業界の未来についても、静かな口調でこう言った。

 「俺は死んじゃっていると思いますけどね。あと5年がいいとこなんで。テレビが茶の間に欠かせない時代から、テレビ離れして、いろんな人がスマホを持つ時代に、テレビがどういう役割を果たすかは難しい問題なんだけど…。やっぱり見たい番組ってのは(視聴者は)あらゆる時間調整をしてでも見るもんだから、その見たい番組を常に考えるってことと、制作者側は、いかに面白いということに対する感覚が時代とズレないように。自分だけがゲラゲラ笑っていて、企画がつまらない人っていますから。とにかく時代とズレないように頑張ってもらいたい」と意外なほど率直なエールを贈って見せた。

 来年で映画監督デビュー30周年を迎える。九死に一生を得た94年のバイク事故も自作の酷評に悩んだ末の潜在的な自殺未遂だったという見方が有力だし、今年2月には93年の「ソナチネ」から始まり、昨年公開の「アウトレイジ 最終章」まで全10作品でコンビを組んだ“盟友”大杉漣さん(享年66)を失った。本当に山あり谷ありの映画人生だったのではないかと、私は思う。

 それでも、たけしが、いつでも命がけで映画を作ってきたのは事実だ。「時代とズレずに」世界が震撼する作品を生み出し続けてきた「世界のキタノ」だからこそ、この日の言葉には、十分過ぎる重みがあった。(記者コラム・中村 健吾)

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