中邑真輔の代役サモア・ジョーに、36年前の猪木の代役キラー・カーンを見た…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知
松葉杖姿の中邑真輔の前に現れたサモア・ジョー

 横綱が出場するのか、それとも休場するのか? 大相撲担当時代の緊張感がよみがえった両国国技館でのWWE東京公演だった。日本人スーパースター中邑真輔(38)は、6月29、30日に両国国技館での「WWE Live Japan」のメインイベントでAJスタイルズ(40)の持つWWE王座に挑戦する予定だったが、左足負傷でまさかの欠場となった。

 先週のこのコラムは大会当日29日の朝配信で、締め切りギリギリで中邑が、無事に来日(凱旋帰国)という確認が取れたため、タイトルマッチのあおり原稿を書いたが、当日の国技館では3試合目終了後に中邑が松葉杖姿で入場し、リング上から欠場のあいさつを行った。WWEの対戦カードは当日に開けてみるまでわからないのが常識だが、あおった立場として冷や汗をかいた。

 中邑のコスプレをしたユニバース(WWEマニア)が少なからずいたが、それと同じような居心地の悪さを感じた。マイクを握った中邑は「WWEスーパースターは僕だけじゃありません。イタミ・ヒデオ、アスカ…」と説明していると、「ナカムーラー!」と割って入ってきたのが、サモア・ジョー(39)だった。中邑に代わっての王座挑戦を表明し、中邑をスリーパーホールドで締め落とした。そこへ王者のAJも現れ、乱闘劇の中、メインイベントのカード変更が場内に受け入れられた。

 サモア・ジョーは、ZERO-ONEで橋本真也(故人)と対戦し、プロレスリング・ノアでは三沢光晴(故人)のGHCヘビー級王者に挑戦するなど、日本でもなじみのある選手。WWEでは“マイナーリーグ”のNXTから中邑と抗争し、ともにメジャーに上りつめた存在だ。新日本プロレスでIWGP王者になったAJとのWWE王座戦の日本開催は夢のカードでもあった。

 そこで思い出した。36年前、国技館が両国ではなく蔵前にあった頃の話だ。新日本プロレスがWWEの前身であるWWFの世界観を日本で披露するために誕生したMSGシリーズ。MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)はWWFのニューヨーク本拠地のこと。その第5回リーグ戦の決勝戦が行われた1982年4月1日。日本のエース・アントニオ猪木と最強外国人のアンドレ・ザ・ジャイアントの優勝決定戦になるはずだった。

 だが猪木はシリーズ終盤の試合でテキサス・アウトローズ(ダスティー・ローデス&ディック・マードック)に左足を負傷させられたとの理由で、欠場した。中邑以上の“横綱休場”ショックだ。そこで、リーグ戦3位のキラー・カーン(本名・小沢正志)が猪木の代役を務めたのだ。当時、アンドレVSカーンはMSGのドル箱カードだった。ニューヨークでは、猪木よりも有名だったカーンは、日本では格落ちしていたが、蔵前のメインで大善戦し、見事に猪木の代役を務めた。この時の思い出話は、東京・新宿の「居酒屋カンちゃん」で、いつも聞かされているが、その話はまたあらためて。

 カーンの登場で、過去4連覇の猪木が負けずして、アンドレの初優勝が決まった。それにしても、国技館で同じ左足負傷の松葉杖欠場あいさつが重なる。師匠・猪木のオマージュだったとしたら…と考えるのは妄想が過ぎるか。

 AJとジョーは日本にいた時に見せていたようなハードヒットな試合を展開。ジョーのキン肉バスターをかわし、AJがフェノメナール・フォアアームで仕留めた。2日目はダニエル・ブライアンも含めたトリプルスレットマッチとなり、中邑も乱入して盛り上がった。

 2日ともジョーの助演ぶりが光った。昨年のWWE両国公演の際にはこのコラムで「国技館で曙に見えたサモア・ジョー」と書いてユニバースからひんしゅくを買ったが、ジョーには、カーンのような日本人に愛される世界のトップヒールに上りつめてほしい。

 さて、中邑は初日一夜明けで、日本の報道陣に向けて、グループインタビューにこたえ誠意を示した。「自分としては戦ってる姿を見せたかった。中邑真輔というプロレスラーとしてのパフォーマンスを」と悔しがった。けがについては多くは語れないようだったので、「めったに会えないので、好きに書かせていただきます」とあいさつすると、微笑を浮かべていた。中邑のヒールとしての可能性も楽しみだ。(酒井 隆之)

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