マサ斎藤さん通夜、戒名は「マサ斎藤」…祭壇はリングを再現 長州力、古舘伊知郎アナら弔問

スポーツ報知
リングの形となったマサ斎藤さんの祭壇

 今月14日に75歳で亡くなったプロレスラー、マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんの通夜が21日午後6時から都内で営まれた。

 リングを再現した祭壇には、信条の「GO FOR BROKE!(当たって砕けろ)」が青文字で掲げられ、何度やられても闘志むき出しに立ち上がった現役時代のリング上で闘う勇姿の遺影が飾られた。

 戒名は、喪主で妻の斎藤倫子さんの意向でリングネームの「マサ斎藤」。最後までプロレスラーとしてパーキンソン病と闘った人生を象徴する戒名だった。

 午後6時からの通夜には、現役時代に闘った坂口征二氏(76)、木戸修氏(68)、まな弟子の佐々木健介(51)と北斗晶(51)夫妻、テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で実況を務めた古舘伊知郎アナウンサー(63)らが参列。また、式が始まる前の午後5時に現役時代に新日本プロレスの維新軍団、ジャパンプロレスなどで師弟関係にあった長州力(66)が家族と共に焼香し、無言で会場を後にした。

 マサさんは、1942年8月7日、東京都中野区出身。明大在学中の1964年東京五輪にレスリング・フリースタイルで出場し、65年に日本プロレスに入門した。66年には東京プロレスへ移籍したが、同団体が崩壊後は単身、米国に渡りトップヒールとして活躍。日本でも新日本プロレスに参戦し長州率いる「維新軍団」の参謀役として暴れまくり、87年にアントニオ猪木氏と戦った「巌流島の決闘」では、2時間5分14秒に渡る歴史に残る死闘を繰り広げた。

 99年2月14日に日本武道館でのスコット・ノートン戦で現役を引退し、2003年には長州が旗揚げしたWJプロレスへ移籍したが1年あまりで崩壊し、05年からは佐々木健介が率いる健介オフィスのアドバイザーなどを務めた。

 2000年にパーキンソン病を発症し闘病生活を送りながら、16年12月2日に元新日本プロレス取締役・上井文彦氏のプロデュース興行でリング復帰を果たし、昨年4月7日の同興行でもリングに上がった。この時が公に姿を見せた最後となった。来年2月にマサさんを中心にした興行が内定しており、リングに上がることを目標に懸命にリハビリに努めていたが、今月13日に容体が急変し、14日午前1時05分、75年の生涯を閉じた。

 告別式は22日で弔辞は、現役時代に深い親交があったザ・グレート・カブキの米良明久氏(69)と米国修業時代から公私共にマサさんを慕った武藤敬司(55)が読み上げる。

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