天龍源一郎、マサ斎藤さんは「プロレスラーたるものを教えてくれた人」…マサ斎藤さん通夜

スポーツ報知
マサ斎藤さんの通夜を弔問した天龍

 今月14日に75歳で亡くなったプロレスラー、マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんの通夜が21日午後6時から都内で営まれた。

 現役時代にマサさんと闘った天龍源一郎は「相撲からプロレスへ転向して、天龍源一郎がプロレスラーとして成功したと言って下さるんでしたら、そのとっかかりを作って下さったのは、マサさんだと思っています」と明かし「それはボクが1978年か79年にフロリダに行った時に短い時間でも練習していただいて、プロレスラーたるものはとかいろんなことを身をもって教えていただいた方でした」と感謝した。

 さらにプロレスラーとしてのマサさんの生き様を「今回のこと、パーキンソン病になったと聞いた時に、まず一番最初に、えっ、あのマサさんがって感嘆詞と付いてくるぐらい、頑丈で絶対にこの人は人生でもへこたれないし、すべてのことにGO FOR BROKEって代名詞になっているそのままの人生を送ってこられた人だと思っていました。こんなに世知辛いなか自分の意志を貫いて生きてこられたことは尊敬に値します」と頭を下げた。

 マサさんの功績を天龍は「五輪の栄光も実力もありながらプロレスに転向してレスラーの箔(はく)を付けてくれた人でした。戦い方もけれん味のない試合をやってくれた」とし、自身にとっても全日本時代にジャパンプロレスで参戦したマサさんと戦った時に「ボクがこの業界でちょっと認められたのは、マサさんと互角に戦えたオレを見て、ここまで実力が上がってきたのかなとみんなが見てくれた。そういう意味ではマサさんは、それぐらいこの業界では重鎮的な感じでした。すごいプロレスに対して常に真正面から向き合っている人でした。だから、いい加減なレスラーとか、この業界のことを軽んじている人とかレスラーに対してはすごく厳しい姿勢で臨んでいたと思います」と明かした。

 75歳で生涯を全うしたマサさんを「あんなに早くあんな頑丈な人が亡くなるなんて夢にも思わなかったですね」と声を落としたが「でも、えらいですよ。自分で闘病してカンバックしてやろうという気概を持っていたっていうのは…。これは、誰にでも人生に通じることですよ。ボクも頑張って行きますよ」とマサさんを讃えていた。

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