徳光さん、古舘さん、辻さん…マサ斎藤さんの葬儀で教えられた語り手たちのプロレスへの感謝と誇り

スポーツ報知
リングの形となったマサ斎藤さんの祭壇

 今月14日にパーキンソン病のため75歳で亡くなったプロレスラー、マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんの通夜、告別式が21、22日、東京都港区の梅窓院でしめやかに営まれた。

 通夜は、テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で実況を務めた辻よしなりアナウンサー(57)、告別式は元日本テレビでフリーの徳光和夫アナウンサー(77)が、それぞれ司会を務めた。また、通夜には金曜夜8時の生中継時代の「ワールドプロレスリング」で実況を担当した古舘伊知郎アナウンサー(63)も参列した。

 辻さんは、マサさんが解説者を務めた時代に実況した。

 「実況、解説という間柄でしたから長い時間を過ごさせてもらったんですけど、目の前で本当に交通事故が起こっているかのような信じられない試合が展開されている中で、僕が一言しゃべった例えば“辛辣(しんらつ)”という言葉がずっとマサさんの頭に引っかかっていまして、マサさんにいくら振ってもちゃんと答えてくれなくて、そう言えば先ほど言った“辛辣”という言葉は一体どういう言葉なんだい?っていうことを聞かれて、実況しながらそしてマサさんにその辛辣という言葉を解説しながら、なんかこう一人二人羽織をしながら、そんなような雰囲気が立ちこめた時を思い出しました。なにせ、真っすぐな方だったんで、何かひとつ引っかかるとそれを解決しないと気が済まない。その先に行けなかったですね。マサさんが解説を引き受けてくださって一緒にやらせていただく時に迷惑をかけるかもしれないけど、心だけは伝えていきたいからという話をしてくださいました」

 古舘さんは、若手アナ時代のマサさんとの交流を明かした。

 「よく新宿の明治通り沿いにあるお寿司屋さんに連れてってもらって、先輩のアナウンサーなんかと酒を酌み交わしながらいろんな話を聞いた若い頃のことを思い出します」

 そして、徳光さんが告別式の司会を務めた。徳光さんとマサさんは、1965年6月3日の高崎山猿吉(後の北沢幹之)戦でのデビュー戦後に初めてインタビューを担当したのが徳光さんだった。

 当時、日本プロレスは金曜夜8時から日本テレビで生中継しており、入社2年目で実況を担当していた徳光さんがデビューしたばかりのマサさんをインタビューした時から親交があった。

 また、妻の倫子さん(68)が、米国に在住していた独身時代に日本テレビの米国ロケ時のコーディネーター、通訳を務め徳光さんと深い親交があり、こうした縁から告別式の司会を倫子さんが依頼した。

 辻さんも徳光さんもマサさんの現役時代の偉業とエピソードを悲しみの中にもどこかユーモアを交え紹介していた。その抑制を効かせた語りは、日米に渡りトップレスラーとして活躍し、誰もがその人柄を「チャーミング」と評したマサさんを天国へ送るにふさわしい素晴らしい「実況」だった。

 中でも出棺時、徳光さんが高らかに呼び上げたコールが忘れられない。

 「180センチ、250パウンド、マサ斎藤!」

 酷暑の青空へ昇るような澄みきったコールは、マサさんの旅立ちを力強く後押しした名調子だった。

 思えば、3人は金曜夜8時で若手時代を過ごした。徳光さんは、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の日本プロレス時代。古舘さんと辻さんは、猪木、藤波辰爾、長州力、タイガーマスクが躍動した昭和の新日本プロレスで実況とリポーターを担当していた。

 古舘さんは、昨年4月に「ワールドプロレスリング」で解説者として活躍し80歳で亡くなった東京スポーツ元編集局長の桜井康雄さんの告別式に参列した。

 この時、「ただひたすらあの当時、育てていただいたことに感謝いたします。それのひとことに尽きます。それ以外は思いつかないです。本当にお世話になったんで。“古舘君、あなたおしゃべり面白いからモノになるから、一生懸命にやった方がいいよ”って色々、アドバイスもらって、本当に染み渡るように、天つゆが染み渡るようにうれしくて。桜井さんのひとつひとつの言葉が。未だに忘れられないですね。あの当時、本当にお世話になりました」と感謝を捧げていた。

 日本を代表する語り手となった今も育ててくれた先人、あの頃を忘れない感謝。桜井さん、そしてマサさんを偲ぶ言葉に超一流の生き様を見た思いがした。

 マサさんの出棺後、報道各社が葬儀を取り仕切った広報担当を通じて徳光さんにインタビュー取材を申し込んだ。しかし、徳光さんは断った。その時、広報担当へ丁寧にこう話したという。

 「今日は、マサさんはもちろんですが、プロレスラーの皆さんが主役です。私が話す場所ではありません」

 リングを彩るレスラーを後ろから支える語り手の誇り。レスラーだけでなく、粋な語り手も金曜夜8時のプロレス中継は育んでいた。(記者コラム・福留 崇広)

格闘技

×