初代タイガーマスク、故ダイナマイト・キッドさんへ「ダイナマイトがいたからタイガーマスクがいた。運命的な出会いでした」

スポーツ報知
初代タイガーマスクの佐山サトル

◆リアルジャパン「原点回帰プロレス」(6日、後楽園ホール)

 初代タイガーマスクの佐山サトル(60)が6日、リアルジャパンプロレスの東京・後楽園ホール大会で5日に60歳で亡くなった“爆弾小僧”ダイナマイト・キッド(本名トーマス・ビリントン)さんをしのんだ。

 初めて会ったのが「サミー・リー」のリングネームで闘っていた1980年の英国修業時代だった。

 「ロンドンの控室で初めて会いました。控室で他の選手が“トミーが帰ってくる”って話をしていたんです。ボクは誰だか知らなかったんですけど、日本で試合をしている選手だって聞いて、それがダイナマイトでした。仲間に人気があって理想的な好青年でした。人間としては本当に誠実でみんなに好かれていました。そして、プロレスラーとして、いい意味のプライドは高かった」

 帰国した佐山は、虎の覆面をかぶったタイガーマスクとなり81年4月23日、蔵前国技館でキッドさんを相手にデビュー戦を行った。そして、この試合は両雄にとって初めての対戦だった。

 「イギリスでは闘ったことはありませんでした。最初の対戦がタイガーマスクのデビュー戦でした。圧力がものすごい選手でボクとしては圧力に耐えかねて、耐えて耐えてって、そういう試合でした。今まであんな圧力食らったことないです。そのぐらいすごかったです。そして、技のキレ、スピードも素晴らしかったですし、何よりガッツがすごかった」

 キッドさんをジャーマンスープレックスで破ったタイガーマスクは、わずか1試合で一気にスターダムに乗り、空前の虎ブームを日本中に沸き起こし、タイガーマスクが引退する83年8月まで名勝負を展開した。

 「試合をやるたびに、なんでこんなパワーがあるんだって思ってました。それで、そういう選手は普通は、スタミナがなくてバテるんですけど、バテない。ナンバーワンでしたね。どこから攻めるのにも、掛かってこいみたいな根性がありすぎるぐらいありました。それと、受け身の取り方なんて異常でしたよ。根性と体感的なものは世界一でした。ボクは常に彼と闘うときは、必死でした。格好付けたプロレスをやってましたけど心の中では必死でした。そして、それがいつしか楽しくなっていきました」

 必殺のツームストンバイルドライバーで首を負傷したこともあった。

 「あれで首をおかしくしたんです。今、ボクの病気はあれが原因かもしれませんね(笑)。あと、ブレーンバスターですね。あの速さは、どっから出てくるのか。誰もマネできないですよね。まさにミスタープロレスでした。ダイナマイトとの試合が続いたから、タイガーマスクが光っていた。お互いが光り合っていました。あの当時は、マーク・ロコや小林邦昭さんも素晴らしかった。すごい時代でした」

 60歳の誕生日に亡くなったキッドさんの死因は不明。英メディアなどによると、現役時代に使用していた筋肉増強剤などの影響から引退後はさまざまな病気を患っていたという。

 「プロレスのために命を張っている人間でしたから、寿命が短くなるっていわれるけど(増強剤を)やっちゃうところがあったかもしれません。それをパワーに生かしていましたから。プロレスラーとしての原理原則をもっていた人でした。何かの魂を持っていないとそこまで、できないですよね」

 思い出の試合は、デビュー戦と82年8月30日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでの一戦という。

 「亡くなったと聞いて、思い出が走馬灯のように出て来ました。デビュー戦、ニューヨーク、各地で熱戦を繰り広げたことだったり…本当に惜しい人を亡くしました。ボクは世界中のあらゆるところであらゆる選手とやりましたけど、彼は間違いなくナンバーワンでした」

 そして、佐山は遠くを見つめるように言った。

 「ダイナマイトがいたからタイガーマスクがいたと思います。デビュー戦の相手が彼でラッキーでした。昭和56年4月23日、蔵前国技館。運命的な出会いでした」(取材・構成 福留 崇広)

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